ブログ「言葉美術館」

◆坂口安吾「不良少年とキリスト」、最強の朗読

2016/09/03

20160902

坂口安吾は、私の愛するひとのひとりで、いろんな方面で、聞かれてもいないのに、愛しているんです、ってことを吹聴しているけれど、いまあらためて、安吾の文章はすばらしいということを、「朗読」というスタイルで聴くことによって、再々∞確認している。

というのは、ここ数カ月、私は眠りの導入として読書をやめていて、こんなことを言うと、好ましくないにおいがしてくるようで嫌なのだけれど、ひじょうに目が疲れるようになったからで、とくに夜は、もういやん、って瞳が私にうったえているようで、本が辛くなってきた。
でも、「何か」の言葉や物語は欲しい、ということで、YouTubeを利用して、名作朗読を聴きながら眠るようになった。

けれど、作品は好きなのに、朗読者の声や読み方がだめで、なかなか気に入ったものには出逢えない。
もともと私が好きな作家の朗読そのものが少ないというのもある。
そんななか、坂口安吾で検索していくつか試しているうちに、もう、これ大好き! というものを見つけた。

なんたって「不良少年とキリスト」の朗読なのだ。「堕落論」じゃなくて、「不良少年とキリスト」というところが、ちょっとマイナーなのに、なんであるの、嬉しい、っていう意味で、もう感涙。

このエッセイは、安吾のエッセイのなかでも、もっとも好きなもののひとつ。

太宰治が自殺したことに寄せてのエッセイで、安吾節が炸裂するなか、底流には「太宰のばかやろう、死んでしまったらおしまいじゃないか、ばかやろう」という愛情追悼の想いがあって、胸に迫る。

それで、これを朗読している方がもう、最高。
私はこのところ、こればかりを毎日聴いているけれど、聴けば聴くほどにすばらしい。

安吾の文章が面白くて、やはり美しく音楽的でさえあることが「朗読」といいうかたちで、いよいよ明らかになる。

とにかく朗読者が、いい。

あまりにもいいので、ひとりじめしているのが息苦しくなり、ここに告白。興味ある方にはぜひ、聴いてください。

「不良少年とキリスト」には名文がいっぱい。ラインひきまくり。

とくに、次の2行は私の子育て(とかいうと、まるでちゃんとしていたみたいだけど)の座右の銘なのです。

「親がなくても、子が育つ。ウソです。

親があっても、子が育つんだ。」

これ、一時期、壁に書いて貼っていた。ほんとの話。

ちなみにこれに続く文は以下の通り。

「親なんて、バカな奴が、人間づらして、親づらして、腹がふくれて、にわかに慌てて、親らしくなりやがったできそこないが、動物とも人間ともつかない変テコリンな憐れみをかけて、陰にこもって子供を育てやがる、親がなきゃ、子供は、もっと立派に育つよ。」

あーーーー、すーーーーっとする。

まだいっぱいあるけど、あとひとつだけ。

「生きてみせ、戦いぬいてみせなければならぬ。いつでも、死ねる。

そんな、つまらぬことをやるな。いつでもできることなんか、やるもんじゃないよ」

……はい。安吾さま。

坂口安吾「不良少年とキリスト」朗読はこちらです。

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