◆私のアナイス ブログ「言葉美術館」

◆立ち直りの足がかりと「異邦人」

2017/02/08

 20170125 

 内に内に向かって突き進み、どこまで掘って掘って掘りまくれば気が済むのか。と本気で嫌になるほどにすべてが内側に向いていると、外界の刺激がうっとおしくてたまらなくなって、テレビは普段から観ないけれど、ネットなどの情報も、敵意を抱くほどにうっとうしくなる。

 しかし、こういう状態はまだましだ。それがどこまでも内であろうとも、進もうとするエナジーはあるわけだし、敵意を抱くなんてひじょうにエネルギッシュだ。

 アメーバ―のような状態はもっとひどい。とにかく何にも力がはいらない。ぐにょん、としていて、すべてに対して鈍感になり、どうでもよくなり、誰ひとりとして私のことを気にかけてくれる人などいない、いなくなったって誰も困らないし。そんなふうになる。

 これがもっと悪化すると、考えるだけでぞっとする例の暗闇が待っているのだけれど、今回は幸いにもそこまでには至らない状態で、「基本アメーバ―、ときどき内に向かう女」をしていた。

 今年が始まってずっとなのでけっこう長い。いわゆる冬眠で、なじみのある状態だけれど、そろそろ目覚めたかった。

 そして昨日、目覚めの気配を感じた。

 昼下がり、仕事のお手伝いをしてくれている彩ちゃんが今年はじめて来てくれた。サイトに追加してほしいことなどを話して、トップページの画像をふたりであれこれいじりながら、新しくした。彩ちゃんが撮影してくれた写真、すごく気に入っている。

 そして近況を尋ねるなかで、彩ちゃんが自身のブログ、たくさん記事を書いていることを知った。「基本アメーバ―、ときどき内に向かう女」な私はネットからも遠いところにいるので、まったくチェックしていなかった。

 そして、彩ちゃんがいるときにも「その記事」を読んで、思いがけなくて「嬉しい、ありがとう」と言ったのだけれど、あとで一人になって、じっくりと読んで、それからもう一つの記事を読んで、私は、もう、ほんとうに、嬉しかった。

 ここでまた彼女のことをあれこれ褒めたりすると、「ふたりで勝手にやってろ」的になるので、ぜひ、この記事をお読みください。私のことについて書かれた以外の箇所も、胸にしみます。私が「物書きの条件」と思っている「書くことへの畏れ」と「自分自身を見る第三者のまなざし」が彼女にあることがよくわかると思います。

私が頑張る理由

書くことは誰でもできる?

 *水上彩ブログ「余韻手帖」より。

 それで、彩ちゃんが帰ったあと、この、ちょっとやる気になっている気配がどこかに行かないうちに、アナイス・ニンの原稿に手をつけようと、パソコンに向かい、だだだ、とアナイスモードに入った。

 少し経ったころ、今度はカドカワの岡田さんが新刊の打ち合わせに見えた。ちょっと待っててくださいな。キリのいいところまで……。と私は岡田さんに言って、キリのいいところを目指していると、電話が。

 表示の名前に、え、と驚いた。杉崎和子先生だった。アナイスの翻訳者の、アナイスと親しかった、その杉崎和子先生だった。昨年10月12日以来だった。うそだ、すっごい久しぶりに、ようやくアナイスの原稿に取り掛かった瞬間、杉崎先生からすっごい久しぶりにお電話いただくなんて。

 先生と心躍る会話をして電話を切って、岡田さんに、興奮して言った。「私は目に見えないものの存在を、だんぜん信じるよ」。

 岡田さんは、いつもの調子で「まあ、自分が動き始めると周りも動くっていいますからねー」とのんびり言い、私はうなずきながらも、「それにしてもさっ」と興奮がなかなか冷めなかった。

 それから新刊の打ち合わせをして、もう、最初の本を作ってから9年ですよ、早いねえ、なんて話をして、夜、眠る前に、アナイスつながりで久しぶりに中田耕治先生のサイトを訪れたら、私の名前が出ていてびっくりして泣きそうになった。12月9日の記事です。

 すべての人から忘れ去られている、と確信していた三週間が一日でひっくり返ったみたいに、昨日一日に起こったこと感じたこと受けとめたことがいっぱいあって、ああ、こうして立ち直ってゆくんだと思った。立ち直りの足がかりみたいのが、一つ二つ三つって、あらわれて。

 昨日はもう一つ記録しておきたいことがあった。

 眠る前、娘が「カミュの異邦人、って読んだことある?」と聞いてきた。「あるよ。愛読書の一つだもん」と答えて、太陽がまぶしくて人を殺した、とか、ママンのお葬式で泣かないと裁判に不利なるってどうよ、とか、不条理だーとか、ムルソーラブとか、それからあれこれとやりとりがあったあと娘がおどけて言った。「え。それで確認なのですが、ま、まさか……自分のこと異邦人だとか思ったりしてないよね?……私は異邦人~ひたっちゃうー……って」

 う。とつまっていたら、「あ、でも、異邦人だと思っている人が自分の居場所を構築するために作家になるってことか」とひとり納得していた。

「異邦人、って感覚ない?」と尋ねると「ない」と即答。「よかったね。世の中には私のような人間と私のようではない人間とがいてね。だんぜん後者がいいんだよ、君は後者だ、父似だね、やっぱり」と言いながら、ほんとうに私はほっとしていた。

 久々に「異邦人」を読み返したくなった。

 写真のお花は、今年初の路子サロンで飾った花。映画サロンは、心地よい刺激とあたたかな空気感に満ちていて幸せだった。

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