ブログ「言葉美術館」

■非凡を読む凡庸 「無限の網」草間彌生■

2021/09/14

「一日ごとに早くなっていく加速度的な時間の中で、与えられた枠の内側で必死になってみてもたかが知れている、と考えることはおよそ空しく、無意味である。(略)

人生は真実素晴らしいとつくづく思い、体が震えるほど、芸術の世界は尽きることなく興味があり、私にはこの世界しか希望のわく、生きがいのある場所は他にないのだ。

そして、そのために如何なる苦労をしても悔いはない。私はそのようにこれまで生きてき、これからもそう生きていく」

日本の芸術家の実像にせまる、「ニアイコール・シリーズ」で草間彌生のドキュメンタリー映画を観た。

それがあまりにおもしろく(何度笑ったことか!)、草間彌生のすっかりファンになって、かぼちゃの携帯ストラップを記念に買っただけでなく、アマゾンで自伝を買った。

そして、その熱く激しい人生に圧倒された。

以前ならば、ブラボー、芸術家はこうでなくっちゃ。

と手放しで喜んだのだろうが、今は、もちろんそういう気持ちもあるものの、

「しかし、これができるということは、ある意味、ある部分、かなり鈍感にならなければ無理だろう」

とも思う。

もちろんそのアンバランスさがすべて芸術家の魅力となるのだけど。

そしてなんだかこのところ、バランスよくできてしまっている(自己評価だが)自分自身の凡庸さに、本気で落ちこんだりしている。40を過ぎると、自分自身が見えてきてしまって、でも「もしかしたら」という幼い希望みたいなのも残っていて、すごくやっかい。

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