■クリスマスの愛 「人はなんで生きるか」トルストイ■
2019/12/20
「わたしは、すべてのひとは自分のことを考える心ではなく、愛によって生きているのだということを知りました」
キリスト教色の、トルストイ民話集のなかの一篇。「人はなんで生きるか」。
人間というものを知らない故、神によって人間の姿に変えられた天使が、長い年月をかけて得た答えがこれ。
あたりまえすぎて、なんてあたりまえなんだろう、となかば呆れながら胸うたれるのは、ときどき、このあたりまえの答えを見失うからなのだろう。
見失っているときに、読んだからなのだろう。
じゃあ、愛って何よ、とはもう思わない。そのとき胸のなかに芽生えた、何かあたたかで充足しているもの、これが愛なのだろう、と思えばそれでいい、と思う。
私が大好きなモンパルナスのキキは「私は愛を感じることを愛しているの」と言ったけれど、まさにこの心境。
クリスマスシーズンで、世の中は華やいでいるけれど、キリスト者でないものも意味不明にはしゃいでいるけれど、私は、何かをしようとしたならば、そこに自分なりの意味づけをしないではいられないので、何年か前に、その意味づけができて、それから安心してクリスマスを迎えられるようになった。
親友がキリスト教信者で、その親友が言った言葉。
イエスが存在したかどうかはわからない。けれどイエスや、イエスの教えを信じる人間を愛しく思う。
つまり、人間に対する愛なのだと。
私はこの言葉を彼女の口から聞いてから、愛しい彼女が信じたいと願う、イエスやイエスの教えを、私も尊びたいと思った。
クリスマスはイエスの誕生日。だからお祝いしたい。
トルストイのこのタイトルの文庫本を、東京駅近くの丸善ブックセンターで手にとったのも、偶然ではなく必然であったのか、と思う夜。