■生きている 「独り居の日記」メイ・サートン■
2016/05/22
「真実として残るのは、どれでも彼女の本をとりあげたとき、生きているという、より強い意識なしにはただの一ページも読めないことである。芸術が生命を高めるものでなかったら、いったいどんなものであるべきなのだろう」
久しぶりに、読み返す。
ヴァージニア・ウルフの本について述べた部分。この前に、ウルフの『ある作家の日記』について、「大いに自己専念はあるかもしれないが、自己憐憫はない」
と私の大好きな評価がある。
生きている、という強い意識とともに、読ませる本……。
胸がざわざわする。
昨夜は殿方2名と食事をしていて、いろんな話をしたけれど、そのなかで、今、強くよみがえってきている言葉がある。
「お金じゃないんですよね、お金が欲しいのではない、そりゃあ、欲しいんだけどさあ」と笑ったあと、彼は言った。
「充実した時間」が欲しいんです。
私は驚いた。なぜなら、彼が発したその言葉は、私が胸のなかで叫んだ言葉でもあるから。
生きているなあ、という想いが体中に染み渡るような稀な瞬間だった。
お店を出たあとはマイナス8度の夜気が骨のなかまで染み渡りそうだったけど。