◆私のアナイス ブログ「言葉美術館」

◆アナイスのように

2017/02/22

 アナイスのドキュメンタリー映像のための原稿を書くことになり、けれど長い時間をかけても、なかなか完成しない。大切な人を書くときいつも私はこうなる。もうひと月くらいあれこれといじっている。書きつくせるはずもない。私の人生にこんなに強い影響を与えたアナイスのことを、そのときどきのことを、場面場面を、思い浮かべればすぐに記憶の洪水に溺れる。それでも、なんとかいまの私の精一杯で書くしかない。

『アナイス・ニン、自己を語る』の発売が実現しようとしている。あたたかな感慨でいっぱい。アナイスをはじめて日本に紹介した中田耕治先生、アナイスを日本に広めた杉崎和子先生。私にアナイスをもたらしたおふたり、私がこの人生をかけて最高度に尊敬するおふたりを前にアナイスについて質問をしているなんて、二十年前の私に言ったらぜったい信じない。

 テーブルいっぱいに並べられたアナイスからのエアメールを前に、アナイスのことを、妬けるくらい愛しそうに語る中田先生。アナイスが着ていた紫色のマントをふわりとはおられて、アナイスの生き生きとした姿を語る杉崎先生。おふたりと過ごしたそれぞれに濃厚な時間を私はけっして忘れない。私はあの日あのとき、たしかに幸せだった。

 映像のなかのアナイスは、私が活字からイメージしていたままの姿で歩き、お茶をいれ、そして語っていた。七十一歳のアナイス。会ったことがあるような錯覚にぐるりとおちる。アナイスのドレスが好き、くるくると動く表情が好き、声が好き。

 すこし煙ったような色と水の音につつまれたアナイスは、美しい。美しいという言葉しか見つからない。悲しいわけではないのに涙が出てくる。

 アナイス。たくさんのことを知っていて、たくさんのことを経験してきて、そして年齢もたっぷりと重ねているのに、アナイスには人を威圧する空気が一ミリグラムもない。不完全さを隠さず、やわらかで、心愉しそうで、何を言っても受け入れてくれるような包容力に満ちたまなざしをもつ。まさに柳のようにしなやかで、うちに強さを秘めている。

 希望くらいは言っても許されるだろう。私はアナイスのようになりたい。

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