■ぎりぎりまで 「強く生きる言葉」 岡本太郎■
2016/05/22
「どんなことがあっても、自分がまちがっていたとか、心をいれかえるとか、そういう卑しい変節をするべきではない。
一見、謙虚に見えて、それはごま化しであるにすぎないのだ」
岡本太郎語録中の「失敗」について。
一見謙虚に見えて、それはごま化しであるにすぎない。
痛かった。うすうす感じていたから、「謙虚」ぶることの安楽さを、そのずるさを。
もちろん、岡本太郎とは違うから「どんなことがあっても」自分がまちがっていた、と思わないことなど、私にはできない。
けれど、ぎりぎりまで、ほんとうか、ほんとうに自分がまちがっていたのか、と疑うことに手を抜くのはやめたいと思った。
なぜなら、そこのところに手を抜いたら、他の人と自分とを隔てる、自分自身の中にある核が少しずつ姿を消してゆきいそうで、それが私はとてもこわい。
出版記念を兼ねた「軽井沢夫人 浪漫夜会」が終わって一週間。ようやく落ち着いた週明け、仕事場の窓から見える空は、薄い青色。その、葉が落ちた枝の背景に広がる青色は美しいけれど、暖かさは感じられない。氷の季節がもうそこまで来ている。