■自分からの逃走 「部族虐殺 夜明けの新聞の匂い」 曽野綾子■
2016/05/19
「自分がそのことをどう考える、のではない。
他の人も、程度の差こそあれ似たようなことをやっている以上、そんなものだろう、と考えることが逃走なのである」
『自分からの逃走』というタイトルのエッセイから。
このエッセイには次の一文もあって、
「不幸には二つの型がある。襲って来る型の不幸と、自らつくり出す型の不幸とである」
それこそ「幸か不幸か」、今のところ後者である私としては、苦しくなってくると「他の人もそんなものだろう」と考えることができる人に憧れて、そうすれば、もっとラクに楽しくなるに違いない、と考えて、ばかみたいに懸命に「自分からの逃走」の努力を、したりする。
そうするとだんだんそれができる頻度が高くなるようで、今度はそれが怖くなってくる。
それで曽野綾子のエッセイ集などを本棚から取り出して、読みふける。
そしてやはり、いやなんだなあ、と確認する。
そう。
「自分から逃走し続けている人は、自分の本質を言われると、喧嘩をふっかけられたように腹が立つのである」
こういう人ではありたくない、やっぱりいやだ、と毎度再確認。