■暴力を孕んだ瞬間 「『外科室』の解説」 川村二郎■
2016/05/19
「だが、たとえ長い時間をかけて成長したり衰弱したりするにしても、少なくとも愛が発生するのは瞬間である。
分別も常識もたちどころに無力化する、
有無をいわせぬ暴力を孕んだ瞬間である。
その瞬間を知らぬ人は愛を知らぬというにすぎない。
鏡花は『外科室』でただその瞬間だけを定着しようとしたのである」
泉鏡花の『外科室』を、久しぶりに読んだ。
いつものようにしびれて、それからいつもは読まない解説を読んだ。
そして、好きな文章を見つけた。
しばし、「瞬間」の思い出にふける。
好きな小説の解説で感動した経験は記憶のなかでは皆無だけれど、この解説は、私に、私が「瞬間」を熱愛していること、だからこそ『外科室』を溺愛するのだということを提示して見せてくれた。
まったく。
日常のなかでは、それこそ「瞬間」の積み重ねが日常なのに、「瞬間」を忘れてしまう。
それは余裕がないからだ。
余裕とは時間ではなく、心と頭のなかの自由な空間のことだ。
いったい何にそんなに束縛されているのか、と笑いたくなる。
そして自分を束縛し、余裕をなくしている要因をひとつひとつを拾い上げてみれば、ほんとうに実のところは重要ではないものばかりで、それに気づいた瞬間だけは、ふっと軽くなれたように思う。
こういうの、たまには持続すればいいのに、とふくれたくなる午後。
雨も上がり、いきなりあらわれたさわやかな秋空を仕事場の窓から眺め、ため息などついてみたくなる。