■「孤独について 生きるのが困難な人々へ」 中島義道■
2016/05/19
「私は自分に興味があるが、ほとんどの他人には興味がない。
私に興味を示してくれるほとんどの他人にも興味がない。
とはいえ、相手に向かって「あなたにはまったく興味がありません」と言うことは、世間ではほぼ禁じられている。
とすると、私はあたかも他人に興味を抱いているかのようにふるまわなければならない。
私はこの嘘が、たいそう煩わしくなってしまったのだ。
そこで、孤独になるほかないことを知った。
さらに孤独になって、さらに書くほかないことを知った」
私は上の引用を、ほとんど笑いながら書いた。爽快感で、微笑が。
好きな作家の一人なのだ。
本棚ではなく、机の上に並べられている数十冊の本。
タイトルにふっと惹かれて手にとってしまった。
読むのは二度目。やらなければならないことがあるのに、今の私にとって、魅力的なタイトルだということか。
「書くというやくざな営みをしながら、世間一般の幸福を追求するなどというのは虫がよすぎる。書くことによってほんの一握りの賛同者と膨大な批判者・無関心者が生まれることは必至のことである。それを丸ごと呑み込むとき、人は書き続けるようになる」
「ますます自分だけしか興味がなくなってしまった」中島氏は、「血の言葉」を吐き、自分のことを書き続ける。フィクションではない。ノンフィクションだ。
自分との差異をここに見る。
類似に微笑みながら、うなずきながら、それでも同一人物であるわけがないから、差異はあるわけで、類似するところが多ければ多いほど、その差異が意味深く、強烈になる。
昨日は濃霧で、今日は薄い霧。家にいていいんだよ、と霧に許可されて、とても仕事がはかどるはずの夕刻。