◆知命と茨木のり子
五十歳という年のことを考えている。いろんな人のことを想うなかで、彼女がいまの私くらいのときって、どんなだったのだろう、とそんなふうに考えている。
五十歳。「知命」と呼ばれる年齢。ぼくは五十歳で天命を知ったんだよ、って孔子が言ったから。知命は「五十にして天命を知る」を略した言葉。なんで「命知」じゃないの、なんて言ってはいけません。
「知命」かあ。重たくて、しばし考えこんでしまう。
それで、いま、茨木のり子の本をあれこれと読んでいるのだけど、そんなわけで、彼女が私くらいの時はどんなだったか、そういう視線が作動している。
五十歳のとき、茨木のり子は、詩集『自分の感受性くらい』を出版している。
その二年前、四十八歳の時に最愛の夫が病死、ほんとうに仲の良い夫婦だったようで、お互いにお互いしか必要としていない様子に、それが真実そうであった様子に、胸をうたれる。ついでに言えば同年に昭和天皇の発言に対する強烈な批判詩「四海波静」を発表している。
そして夫が亡くなった一年後、四十九歳で、のちに自身の重要なテーマとなるハングルを学び始めている。子どもは望んだけれど授からなかった。七十三歳のとき出版した詩集『倚りかからず』がベストセラーとなり、多くの人の知るところとなった。
亡くなったのは「知命」から三十年。2006年の2月17日に、自宅でひとりきりで。病死。七十九歳だった。長いひとり暮らしだった。
主要作品のほとんどは「知命」後の三十年間で生み出されている。
茨木のり子を知る人たちの茨木のり子像は一致していて、宝塚の男役のような、美しくて凛々しい容姿だったこと。凛としていて、品格のあるひとだったこと。
茨木のり子の詩は「自分の感受性くらい」や「倚りかからず」を読めば、よーくわかるように、自分自身を見つめ、自分自身の価値判断に寄って立つという、きりりとした美しさがある。同時に、女性である前に人間であるというか、性的な匂いが、ない。
でも詩集『歳月』だけは違う。これは茨木のり子が遺言で、自分の死後に発表して欲しいと言っていた作品集。主に夫とのことがテーマになっている。恥ずかしいし、これだけはだれにも批判されたくないから、という理由で死後の発表となった。
もう、この事実だけで茨木のり子が大好きになる。
こんな詩がある。
***
獣めく
獣めく夜もあった
にんげんもまた獣なのねと
しみじみわかる夜もあった
シーツあたらしくピンと張ったって
寝室は 落葉かきよせ籠り居る
狸の巣穴とことならず
なじみの穴ぐら
寝乱れの抜け毛
二匹の獣の匂いぞ立ちぬ
なぜかなぜか或る日忽然と相棒が消え
わたしはキョトンと人間になった
人間だけになってしまった
***
むせかえるような性愛の情景と、その相手を喪ったことのぽっかりさが、なんとも胸にせまる。
晩年の茨木のり子は鬱的な時間も多く過ごし、「朝起きてね、今日もまた一日、人間をしないといけないと思うと疲れを覚えるのよ」なんて言っていたそうだ。とつぜん身近に感じる。
晩年の詩に「苦しみの日々 哀しみの日々」がある。その最終連。
***
受けとめるしかない
折々の小さな棘や 病でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要素は皆無なのだから
***
これもまた永遠だな。
そう、受けとめるしかない。だって自己省察ゼロの人間が私は嫌いなのだから。
茨木のり子の詩、私やっぱり好きだな。彼女は「いい詩にはひとの心を解き放ってくれる力があります」と言っているけれど、ほんとうにそうだと思う。彼女の詩や、彼女の文章を読んでいると、もう、いまでは無価値になってしまったかのような、言葉の力、言葉の美しさというものを、まだまだ信じています、と言いたくなってくる。