ブログ「言葉美術館」

■「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」中島義道■

2016/05/18

41prslxjn6l_2すこし早く着いてしまった東京駅、新幹線の時刻までの十五分を、駅構内の書店で過ごした。 文庫のコーナーで、迷わず手に取ったのがこれ。 「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」。 偏愛する中島せんせいの未読の著書を文庫で発見しただけでも嬉しいのに、カバーがポール・デルボー、大好きな画家、そして「解説」が中村うさぎ。 好きな人三人がいる本なんて、そんなにあるものではない。 帯を取って読んでいて、なくしてしまったけれど、そこにはたしか、こうあった。 「中島先生、私はあなたに救われました」中村うさぎ 私が好きな作家が私の好きな作家の作品を読んで私と同じように感じている。ちょっとした感動があった。 今回、とても共鳴したのは「組織に埋没してはならない」というテーマ。 中島せんせいは、イチローをはじめとする日本人が大リーグなんかで活躍しているのを「わがことのように」喜ぶ光景に違和感を感じる。郷土意識もゼロ。母校への愛着もナシ。 私もまさにそうなので、なんだか安心してしまった。生まれた中央区が、育った伊勢崎市が、そして今いる軽井沢が、誰かに貶められても、なんにも感じない。母校がどうなっているかなんてぜんぜん興味がない。 「○○出身のひとは・・・」という、国や、地域や、学校で、人を分類しようとするやり方にはいつも苛々する。オリンピックもサッカーも「日本人」という立場では盛り上がれない。 今まで、意識的に、組織を愛する自分を演じてみたことはあったけれど、長くは続かなかった。自分のことを紹介する文章(いわゆるプロフィール)で、出身校について書いていないことを、しばしば問われるけれど、それは、 「それは自分の人生のおいて、さほど重要ではないし、今の私を表現する上で、まったく重要ではないと思うからです」。 もちろん、環境が人に与えるもの、組織の恩恵にあずかっているいくつかの場面、そういうのがあるのは重々承知の上で、それでもやはり「個」なんです! という頑固さをずっと持っていたいと思う、朝。

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