■■ハンマースホイから受け取ったこと■■
2016/05/18
親友(私にもいるのだ、魂をそっとつつんでくれるようなひとが)が、「めずらしくチケット二枚買ったから一緒に行かない?」と誘ってくれた、ヴィルヘルム・ハンマースホイの展覧会。
私はその画家を全然知らなくて、行く前にウエブサイトをちらっとみて、「静謐な」という言葉と、それに類似した言葉がたくさんあったので、今の私には、「砂漠に水」のように(ああ、陳腐すぎる表現だ)、必要なのかもしれない、と本気で楽しみだった。
場所が上野の国立西洋美術館。
思い出のたくさんある場所で、それだけで懐かしくて涙が出そうだった。
ロダンの彫刻を見ただけで、胸がしぼりあげられるような。
恋と野心で、ぼうぼうと燃えていたあのころ。……と、おばあさんのように回顧気分。
さてハンマースホイ、私、とっても好きだ。
誰もいない、ドアが異様に目立つ室内画が、だんぜん心に迫ってくる。
これらの絵、私のなかの、キーワードは「距離」。
そう、私は、ハンマースフォイの室内画に、「距離を置け」「拒絶しろ」「ときには自分を守れ」との声を聞いた。
(ここんとこ、ずっと味方だと思っていた異性から、矢が飛んできて当たってしまって痛かったのです)
美術館は混んでいて(週末に行くから悪いのだが)、またしても私は日本のいったいどこに、こんなにたくさん美術ファンが……!……ああ……。
と絶句する。
いちいち並んで歩いて、行列しながら一枚一枚観ることはしない。
さささのさ、と、入場料がもったいないくらい早く歩いて、気に入った絵の前では、ねばる。
そんな観賞の仕方が、親友とは同じで、だから、心地よい。
極上のひとときって、これをいうのよね。と、胸があたたかくなるような、そんな美術館、そんな美術展だった。
もちろん常設展も堪能してきた。
ロセッティの「愛の杯」、こちらは数年ぶりの再会。相変わらず、美しかった。
帰宅して「ああっ、楽しかったー」と言ったら、「久しぶりに聞いたなあ、そのトーン。よかったなあ」と返事が返ってきて、今日一日の重要さを再認識したのでした。