ブログ「言葉美術館」

◆シャルトル・ブルー

2017/04/06

 旅から帰ってきて完全廃人となり果て(お得意)、5日目にようやく体は復活したけれど、中身がだめで、もうほんとうに今度こそだめだ、もう私は何も書けない、これから何を生業として生きていこう……という状態になっていた。まだすっかり過去形ではないけれど。

 そんなとき、お友達から食事に誘ってもらって、そこで旅の話をしつつ、現在の状況として、もうだめ、こんどこそ本当にだめ、就職口を紹介して……なんて愚痴をたらたらとこぼした。

 しかしお友達は笑って、ほとんど相手にしてくれない。私は眉をひそめて身を乗り出して言った。またいつものことだと思っているでしょう、でも、ほんとうにもうだめなように思うの。お友達は笑ったまま言った。大丈夫。私はさらに眉をひそめて迫った。いったい何を根拠に大丈夫、って言えるわけ? ほとんど脅迫めいた口調になっている。

 するとお友達は早口でさささと言った。だって、あなたがやってきたことは本物だから。

 私は胸をうたれて泣きそうになった。いまこうして書いていても涙がにじんでくる。
 それが本当か本当じゃないか、なんてどうでもいい。ここにひとり、そう言ってくれる人がいるという事実が、私にとって、とても重要なのだった。
 お友達は続けて言った。ブログを楽しみにしているから、もっと書いて。

 なので、こうして書いている、この単純さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 パリの南西、列車で1時間ほどのところにシャルトルという町がある。
 ここの大聖堂もまた娘の希望だった。ふたりで出かけた。

 ほんらいならモンパルナスの駅から1時間のはずなのに、その日はなぜかモンパルナス駅からのその列車が使えなくて、私たちは駅員さんに言われるままメトロでエッフェル塔のところまで行って、そこからヴェルサイユへゆき、ヴェルサイユの駅で、シャルトルまでのチケットを買うために、5か所を、文字通り、たらいまわしにされ、へとへとになって列車に乗り、シャルトルに着いたのだった。

 それまでのベルギー各都市で、未知の土地で自分の望むことをする大変さを、かなり体感していた娘が、ようやく乗りこんだ列車でつぶやいた。「ホーム・シックになる……」。ホーム・シックって言ったって、私が一緒にいるのだから、この場合のホームは日本なのだろう。
 それもそのはず、初の海外旅行がこの私とふたりの個人旅行なのだ。言葉はできない、海外にも慣れていない。大変なのは当たり前。

 ほんらいなら1時間のところに3時間かけたからか、ヴェルサイユの駅でのたらいまわし疲労のためか、ようやくたどり着いたシャルトル大聖堂は実にありがたく、そして、私の予想をはるかに超える感動を与えてくれた。

 ステンドグラスがすごいって。どんなところよりもすごいって。絶対行ったほうがいいって。

 ブルージュに続き、心酔する世界史の先生からのおすすめ、シャルトル。

 私も情報では、世界遺産となっているこの大聖堂のステンドグラスについて、一通りのことを得ていた。

 でもね、入った瞬間、なんていうのだろう、あの、感覚。……ぐわっと、その世界にとりこまれてしまった。

 なんて、なんて美しいブルーなのだろう。その神秘的な美しさゆえに「シャルトル・ブルー」と呼ばれる、っていうのがわかる。それが、歩いても歩いても、終わらない。壁面、天井ぜんぶステンドグラスだったのではないだろうか、と今思ってしまうほどに、その存在は圧倒的だった。

 その美しさに、ただただ涙が出てくるという体験は久しぶりだった。

 いままでに訪れたいくつかの聖堂のなかでも、シャルトルのステンドグラスは一番なんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 けっこう長い間、聖堂にいた。
 最後に娘がちょっといい? と椅子に腰かけ、アイフォンを耳にあてた。世界史の先生がこのシャルトルについて語っている講義の部分を聞いているのだ。これ、先生冥利につきる、って光景では。羨ましい……。

 

 私はまたステンドグラスを見上げて、この美しいブルーのことを語りたい人たちのことを考えた。そんなに多くはない。一番にくるのは誰だろうと考えた。すぐに思い浮かんだ。こういう瞬間を私は愛する。

 それにしても美しいものは、こんなにも人を圧倒する。うちのめす、と言っていい。だから危険だ。こんなに美しいブルーの大聖堂でなら、何を言われても信じてしまうように思う。

 同時に、なんらかの啓示が与えられるのではないか、と期待する。だから私はいま目を閉じて、あのブルーを思い浮かべ、こんな言葉をつぶやいてみる。

「変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知を与えてください。」

 ラインホルド・ニーバーの、有名な祈り。いまの私の、切実な、願い。

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