◆オーヴェル・シュル・オワーズ、カラスの麦畑で思ったこと
2017/04/18
もしかしたら私は「麦畑」に立たずに帰国していたのかもしれない、と考えるといま、訪れてほんとうによかった、とほとんど安堵している。
パリで過ごすことは決まっていても、オーヴェル・シュル・オワーズを訪れることができるかどうか、わからなかった。私ひとりの旅ではなく、みんなと一緒に行くようなところではなかったし、私ひとりが抜け出せる日があるのかどうか、直前までわからなかった。
いいえ、どうしても行きたいところなら、無理矢理にでも計画しただろう。けれど旅行前、旅行中の私にそれほどの想いはなかった。ずいぶん「麦畑」から遠いところにいるようで、「見ておいたほうがよいのではないだろうか」くらいの、ぼんやりとした想いしか、なかった。
オーヴェル・シュル・オワーズはパリから北に列車で一時間ちょっとのところにある。ゴッホが亡くなった土地として知られていて、私はゴッホがここで描いた芸術的絶筆、『カラスの群れ飛ぶ麦畑』がとても好きだった。
もう2年も前にとりかかった美術エッセイの本。半年くらい集中して書いたけれど、いろんな理由があって中断した。いろんな理由、確かにあるけれど、一番の理由は書けなかったからだといまは思う。
ゴッホについての章に力を注いだ。やはり私はゴッホが好きなんだ、と再確認しながら書いた。中心としてとりあげたのが『カラスの群れ飛ぶ麦畑』だ。最初に画集で観たときはこの絵の悲劇性を愛したけれど、オランダのゴッホ美術館で本物を観てから変わった。なぜなら本物は印刷と違って、まったく悲劇的ではなく、とてもエネルギッシュだったからだ。
そのあたりのことについてあれこれと書いて、私は結論づけた。カラスの麦畑の絵にあるものは生命讃歌ではないかと。書きながら、近いうちにこの麦畑に立ち、自分で感じたい、と思ったことをいま思い出した。
一日、みんなとは別行動をとってやはりオーヴェル・シュル・オワーズに行こう、と決めて、お友達を誘った。ときどき無性に会いたくなる大切なお友達がパリで暮らしていた。もちろん旅行前に彼女に連絡して、会う日だけは決めておいた。そんなに長い時間は無理かもしれないから、ちょこっとお茶でもできればいいな、と思っていた。
お茶ではなくオーヴェルに行かない? という私のメッセージに彼女はすぐに「行きましょう」と返信をくれた。
その日は日曜日で、晴天で、とても暖かった。パリは東京より寒いから、と選んだウールのコートが恨めしいほどに暖くて、パリから一時間ちょっとかけて到着したオーヴェルは、うららかな田舎で、田舎のあぜ道をお友達と少し汗をかきながら、日焼けを気にしながら、歩いた。
彼女はとても教養のある人だから、ゴッホについて大体のことを知っていて、だから会話も楽しかった。ゴッホとテオが眠るお墓の前で、もともとは別々のお墓だったの、でも名プロデューサーのテオの妻ヨーが、ゴッホの本を出した翌年にお墓を一緒にしたのよ、ドラマティックにするためにね、なんて知ったかぶって説明をして、それからあぜ道を歩いて「その場所」に立った。
その場所がすぐにわかるのは、ここでゴッホがこの絵を描きました、という看板があるからだ。
それにしても陽射しが強すぎる……私は目を細めて、目の前に広がる光景を眺めた。
ゴッホは南仏の陽射しが身体に悪いのかも、ってここに来たのに、ここでも、この季節にこんな陽射しだなんて、きつかっただろうなあ、なんで考えながら、そこに立っていた。
風は、そよ風程度、15時ころだったと思う。緑の短い草がずーっと遠くまで、雲があまりない空もずーっと遠くまで広がっていた。両手をひろげて空を仰ぎたいような、そんな開放感あふれる地だった。足もと、大地からなにか重たいエネルギーのようなものがずんずん身体に伝わってくるような、そんな感覚もあった。
127年前の初夏、この場所でキャンバスを前に絵筆をもつゴッホを想った。そして私の考えは間違っていなかった、と確信したのだ。この場所では、たとえ、決定的な絶望をかかえていたとしても、絶望を描くことは無理だ、だってこの空、大地、風、そして収穫期を迎えた麦、空を自由に飛び回るカラス。あの絵はやはり生命讃歌だ。
すこしだけ、手ごたえがあった。ぼんやりしている自分のなかの、残されたある部分が刺激されるような。
もしかしたら私はあのとき、自分が遠くに置いてきた大切なものを見つけたのかもしれない。……って、すぐに希望的観測を抱いてしまうけれど、ほんとうに、だったらいいな、と切実に思う。
麦畑に立ってから13日後の4月7日の午後、私は長いおつきあいの編集者さんに電話をした。あの、途中になってしまっている原稿、いま仕上げたいんです。オーヴェル・シュル・オワーズに行って、『カラスの群れ飛ぶ麦畑』に対する自分の意見が間違っていない、ってへんな確信を感じたんです。だからいま、書きたい。私、思いきり書けるものをいま書きたい、そうでもしないとだめになりそうで……。
編集者さんは、彼が現在おかれている厳しい状況について笑いながら語ったあとで、「だから作りたい本を作らせてくれ、って感じですよね」と言った。私は彼が「作りたい本」と言ってくれたことが、とっても嬉しかった。そして形としての出版がうまく進むかどうかそれはまだわからないにしても、原稿を進めようと思った。
電話を切ってから、そういえば、それが目的で行ったわけではないのに、ブリュッセルのマグリット美術館でマグリットの絶筆を観たことを思い出し、これはやはり何かの啓示かもしれない、いま書けということなのかもしれない、だからどうか私、がんばって、と自分を励ましている。