ブログ「言葉美術館」

◆モロー美術館の空気を私は冷凍保存したい

2017/04/18

  

 泊まっていたホテルから近いところにあるようだったから、隙をみて行こうと思っていたモロー美術館へは、ゴッホのオーヴェル・シュル・オワーズに行く前、午前中に訪れた。

 近いといっても、ホテルのひとに聞けば歩けばかなりあるというのでタクシーで向かった。この美術館も20年ぶり、大好きな美術館で、はじめて訪れたときの感激を、なにかこわれものでも扱うかのように、大切にしていた。モローの私邸がそのまま美術館となっていて、住宅街のなかにあるものだから、そこが美術館とわからずに通りすぎてしまうくらいの、そういうたたずまい。

 日曜日の午前中、ひとは少なくて、静かで、自分の吐く息が聞こえるくらいに静かで、歩けば、ぎい、と床が鳴るので、なるべく体重をかけないように、ひっそりと歩くから、なおさら、雰囲気的静けさが増す、そんなかんじだった。

 ああ。喧噪の日常のなかにいると、ほんとうにこの静けさを愛しく思う。これがないと息ができないくらいに、好きだと思う。しかもここは大好きなモローの私邸。これまた大好きなルオーも長い時間を過ごした、そういう場所。

 

 

 モローは画家としてだけではなく、有能な教師でもあった。マティスなんかもモローを師としている。そしてルオー。弟子ルオーの実直すぎる性格を知っていたモローは、ルオーの将来を懸念し、遺言に自分の死後、館は美術館とすること、そしてその館長にはルオーを任命すると記したのだった。そうすれば館長としての収入が得られるから。

 好きな画家ふたりのそういうつながりって、胸がぎゅっとなる。でも私にも師がいるし、そして、とてもじゃないけど弟子なんて言えないけれど「伝えたい」と思える年下の人たちがいる。それってかなり幸せなことではないか。20年前にここに来たときは、その両方がなかった。

 そんなことを思いながら、書斎やティー・ルームを眺める。

 前日の久しぶりのルーヴル美術館で、ものすごい人混みに閉口したばかりだったから、やはり絵を観るってこうでなくては、と大きく美術館の空気を吸う。

 

  

 有名な、らせん階段をのぼって、メインのフロアにゆけばそこは壁という壁がすべてモローの絵で覆いつくされている。圧倒される。画家が制作をしたその場に、その作品がぎっちりと並んでいる。この美術館はやはり特別な場所なんだと強く思う。

 それほど広くない美術館に二時間近くいた。椅子に座ったり、立って絵を眺めたり、らせん階段をのぼったりおりたりして、しんとした自分の状態に、ひどく安心していた。ああ、まだ、こういう感覚になれるんだ、私。いくらでも書けそうな、こういう感覚。

 椅子に腰をおろして、両手をお祈りするみたいにぎゅっと組んで強く握りしめた。ああ、この感覚。この空気感。冷凍保存しておきたい。

 だって、いつもすぐになくなっちゃう、あまりにもはかない。

 どうして長続きしないんだろう、嫌な気持ち負の感情は長続きするっていうのに。……あ、そういえば、ずーっと前、写真を撮りたいっていうこの衝動を持続させる極意があるならそれを知りたい、って手紙をもらったことがあったなあ……みんな、いろんなところでいろんな場所で冷凍保存を願っているのかもしれない……。

 あれこれと追憶にひたったり、自分のなかでじたばたしているから時間なんてあっという間だった。

 

 

 そろそろ約束の12時半。

 今度は次の楽しみにむけて胸がわくわくしてきた。

 モロー美術館、扉の外で、お友達と約束をしていた。オーヴェル・シュル・オワーズに行くというのに、モロー美術館まで迎えにいきます、と言ってくれたお友達。大好きなお友達にもう少しで会える。とても不思議な感覚だった。カフェで待ち合わせだったら、こんな感覚はないだろう。モロー美術館を出たらそこで、なんて。

 10分前に外に出たのに、彼女はもうそこにいた。名を呼び合って、私はいちおう年齢を考慮して、ひかえめに声をあげて、再会を喜んだ。
 そして私たちは、彼女が呼んだタクシーに乗って北駅に向かった。オーヴェル・シュル・オワーズに行くために。

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