ブログ「言葉美術館」

◆大きな葛藤は当然、アナイスの言葉

 相談を受けることが増えたように思う。
 年下の人たち、とても才能のある人たち。私から見ればそれこそ未来がばら色に輝いている人たち。けれど彼女たちは、考える人たちなので、内省的な人たちなので、頻繁に息苦しくなって、それで、たぶん、この人はもっとへなちょこだろうから何を言っても驚かないだろう、と私に話をしてくれる。

 彼女たちの悩み、そのときどきのテーマは、いつも他人事ではない。過去の自分をそこに見ることもあるけれど、たいていは現在の私のテーマと重なる。だから一生懸命に考える。正しいか正しくないかなんてどうでもいい、っていうか、そんなのはないのだから、とにかく嘘のないように、いまの私の最大限の言葉を送り出さなければ、と集中する。

 そして、のちに一人になってから、たくさん話すぎたかな、押しつけになってはいなかったかな、と反芻して、いろんなことを気に病む。「彼女」は私と精神的に近いものをもっているから私に話をしてくれるのだけれど、それでも私は「彼女」ではないし、「彼女」は私ではない。だから、どうか、私の意見はあくまでもそのへんに転がっている一事例として、程度にあつかってほしい、そんなふうに願ったりする。

 昨夜は頭が冴えてなかなか眠れなくて、眠るのを諦めて『アナイス・ニンの日記』を取り出した。

 アナイスの本、新刊。矢口裕子 編訳。

 この本のことについてはまたあらためて書くとして、やっぱり、アナイスの日記にはすべてがある! アナイスは私、私はアナイス! 興奮する。

 そして昨夜は、あるくだりを何度も読み返しては、しみじみと心で涙した。

 2017年という時代にあっても、女という性をもつ限り、女性が芸術家であろうとしたときに、ぜったい生じる根本的な問題が、そこにはあった。

 アナイスには子どもはいない。ヒューゴーという夫がいる。この夫の庇護下で、アナイスは自由に男たちのミューズとしてその才能を発揮する。同時に、自分自身の創作に関して、満身創痍で勝負している。まだ作家として認められていない、もがいている時期、アナイス41歳のときの日記だ。

 疲弊してしまっている。周囲の男たちの「お世話」で疲れきって倒れて、精神分析を受けて、今の自分の状態を自己分析している。

「創造することは、わたしの最も強い部分を表明する行為であり、そうしたら愛するものたちに、彼らのほうが強いという感覚を与えられず、いままでのように愛してもらえなくなるだろう。
 自立の行為は遺棄によって罰せられる。わたしは愛するものたちすべてに見棄てられるだろう。
 男は女の強さを怖れる。わたしは男の弱さを深く意識し、わたしの強さから彼らを守らなければならないと思ってきた。
 自分の強さを押し殺し、力を隠してきたのだ。(略)
 わたしは自らを不具にしてきたのだ。
 纏足にされた中国の女の夢。
 わたしはみずからを精神的な纏足にした。(略)
 わたしのなかにある創造者としての罪悪感は、わたしの女性性や男への従属と関わりがある。
 創造の否定的な形。
 また、わたしの作品の内容はわたしのなかの悪魔と、冒険好きの心と関係があり、この冒険心が、わたしが愛するものたちへの脅威になりうると感じる。
 父を暴くことへの罪悪感。
 秘密。
 偽装の必要。
 ことのなりゆきへの怖れ。
 大きな葛藤がここに。分裂。」

 そうだった。みずからを精神的な纏足(てんそく)にしてはだめ。日常は強烈だから知らず知らずのうちに、よほど意識していないと、気づいたらすっかり纏足が完成して、よちよちとしか歩けず、纏足好きの男たちを喜ばせるだけの存在になってしまう。
 私から創造することをとってしまったら、そこには抜け殻しかないことを、私が一番よく知っている。自分だけは誤魔化せないのだから、ほかはだめでも、そこだけは強くいなくちゃだめ。

 そしてなにより。女が芸術家であろうと決めたなら、大きな葛藤はあって当然なのだ、ということ。

 ありがとうアナイス。あなたにまた救われた。

 そしてアナイスのこの文章を、私と同じ精神圏にいる「彼女」たちに贈ります。

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