ブログ「言葉美術館」

◆そして私は二度と戻りたくない

 死んで生まれ変わるとして、あなたは同じ人生を望みますか。

 と問われたらなんて答えますか。と聞いて回りたい衝動に駆られている。

 世の中連休中、私はずっとフリーダ・カーロとつきあっていたから、わりと痛いかんじで日々を過ごしていた。メキシコの音楽を聴きながら。誕生日にも書いたけれど「ラ・ジョローナ」に泣きながら、原稿を書いていた。

 フリーダの晩年の日記がとても強烈で、その日記の最後の言葉は「出口が悦びで満ちていますように。そして私は二度と戻りたくない」ってある。この言葉といつも重ねるのがエディット・ピアフの、「もし生まれ変わるとしても、同じ人生を望むわ」。

 ふたりの言葉は反対言葉ではない。フリーダは同じ人生を望まないと言っているわけではない。ただ、もう嫌、もうここには戻りたくない、って言っているのだ。もしかしたら自死が成功しますように、と言っているのかもしれない。彼女の死、自死とはされていないけれど。病死なんだけど。

 そしておそらくフリーダは、「同じ人生を望むわ」とは言わない。

 いま、私はフリーダ派。とてもじゃないけど、ピアフみたいに言えない。

 そして、フリーダ・カーロとエディット・ピアフ、ふたりとも四十七歳で死んでいる。ピアフが八歳年下。晩年はふたりとも体がぼろぼろだったことも、最後まで自分の芸術を続けたことも共通している。

 フリーダの愛、人生そのものだった夫ディエゴ・リベラ。ふたりはお互いに恋人をたくさんもったりして、多くの人たちとは違っていたけれど、貞操だけにしがみついて安心している愚鈍な人なんかと比べ物にならないほど決定的なカップルだった。二人は結婚し、離婚し、そして再び結婚している。

 いま書いている原稿は、はっきりと出版が約束されていない。もしかしたら出版されないまま終わるかもしれない。何年もかけて書いているのに、本にならないかもしれない。そういう原稿を書くのは、経済的余裕があれば問題はないのだけれど、生活ってものがあるから、収入に結びつく仕事をしなくてはいけない。当然、焦る。早く終わらせて、次の仕事をしなければ。けれど焦ると書けない。書けないともっと焦る。画家の内面にできるかぎり寄り添い、彼らが死ぬ間際に何を想っていたのか、どんな状況にあったのか、そして私はそれをどのように感じ、表現するのか。

 なんてこと、焦って、見出せるものではない。

 だから、どんなことが外側から投げられても、自分の内面は守らないといけない。書けなくなる。書けなくなると自信がマイナスになり、生きているのが困難になる。だからおちついておちついて、と言い聞かせて目を閉じる。

 こういうことを理解してくれる人はそう多くはない。でも、いる。それだけで幸せだと思おう。それに、いま居る場所は、自分で選択して居る場所なのだから、嫌だったら自分で選択して出ればいいだけの話。

 さいきん、カップルを見かけると、哀しみが胸にわく。やきもちならまだよかった。攻撃的な感情ならまだよかった。哀しみってなに。この感情はいったいなに。とカップルを見ながら自問するこわい女は私です。

 上の写真、左、カヴァーがこちらを向いているのがフリーダの日記。カヴァーの絵は最後の苦しみのなかで描かれた。上にある言葉。「行ってしまう?」「ノー」。下にある言葉。「壊れた翼」。

 ↓この動画、ぜひご覧ください。

 「ラ・ジョローナ(泣き女)」リラ・ダウンズの。

 

 これもぜひ。音楽は私のいま一番のお気に入り。カフェ・タクーバの「Esa Noche」。あの夜。

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