軽井沢ハウス

◆プロローグ◆なぜ軽井沢ハウスは注目されるのか?

2017/05/17

私と夫との間でいつしか「軽井沢ハウス」と呼ばれるようになった我が家は、これまでに数多くの雑誌に掲載され、住宅雑誌の表紙を飾ったことも、何度かあります。

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それをご覧になった方々は、無理もないのでしょうが、私のことを何かとても、その生命エナジーを「家」(インテリア、エクステリア含む)に向けている人、あるいは「家自慢」が趣味の人、と思うようです。
これはかなり違った認識です。
「じゃあ、何なの? なぜ雑誌に載せたり、今こうして本を出そうとしているの?」
この疑問について考えるために、ひとつのエピソードから入ります。
 

■自慢しているの?■

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あれは確か、娘がまだ六歳頃だったかと思いますが、ある朝のことです。
彼女の起きる気配がし、耳を澄ましていると、どうやらダイニングのテーブルの上の雑誌をぱらぱらとめくっている様子。
それからベッドルームにやってきて、まどろみにしがみついている私に言いました。
以下、彼女との会話です。
「ママ、おうちの写真がまたのっていたけど、自慢してるの?」
「自慢? 自慢しているというのとは違うような」
「でも、自分でこの家をきれいだと思うからのせているんでしょ」
「きれいだと思うとかそういうのとは違うような」
「でも、きれいだと思わなかったらのせないでしょ? 自慢でしょ」
ああ。どうして子どもって白黒はっきりさせたがるのでしょう! 
世の中には、あやふやなほうが美しいこともあるのに、おばかさん……。
なんて言っても分かるわけないので、というより、朝は諸々のことが苦手なので、私は話を終わらせるために言いました。
「そうね、自慢かもしれない」
すると彼女はきっぱりと、諭すように、言ったのでした。
「自慢はよくないよ。センセイが言ってたよ」


■素人の、がむしゃらな家創り■

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数々の雑誌掲載だけでは足らず、これを一冊の本にしようとしている私は、やはり、あのときの娘が言ったように家を「自慢」しているのでしょうか。
愛用の「新明解国語辞典」によると、「自慢=自分に関係のある物事を、他人に対して誇る様子を見せること」とあります。
ところで、私は娘のセンセイとは違って「自慢」という行為に否定的ではありません。自慢できるものがあれば、ばんばん自慢したいし、していいと思っています。しかしながら、「家」については、とんでもありません。誇るだなんて、そこまで鈍感ではありません!
ご近所に君臨するいくつもの豪邸。夏になると必ず雑誌で特集が組まれる軽井沢のゴージャスな別荘。とてもじゃないけど、我が家自慢なんて、不可能です。

なのに、なぜ我が家は注目されるのでしょう。これは取材の度に考えてきたことですが、今自分なりの意見をまとめると次のようになります。

①けっして「すばらしい家」だから、注目されているのではない。
②だって、どんなにがんばってみても「豪邸」とは程遠いし。
③家の中が暗かったり狭かったり、好みが激しく分かれるだろうし。
④考えるに、注目のポイントは「家をつくる当事者の家創りへの関わり方」だろう。
⑤ようするに「うるさい施主」「わがままな施主」ということか。
⑥いいえ。情熱的な女、じゃなくて「情熱的な施主」ということよ。
 
たとえば、私が建築家だとして、建築家の私が建てた家ならば、たとえ同じものでも、それほど魅力はないのです。
素人が、ただただ「自分の美意識と生き方に沿った住まい」をつくりたい(規格品を押し付けられるのは嫌)、というその想いだけで、途中つまづいても諦めることをせず(周囲の迷惑もかえりみず)、素人なりの頭で一生懸命考えて(がむしゃらに突き進み)、建築士の方に相談し(難問を投げ)、大工さんや職人さんたちの力を得て(情熱ウイルスに感染させて)、つくった家。
そこにある種、強烈なインパクトがあったということなのでしょう。

■お役に立つなら、どうぞ■

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二〇〇一年の春に東京から軽井沢に移住してきたときは、まさか自分が家を建てることになるだなんて、思いもしませんでした。
賃貸の別荘に一年間住んで、その住み心地の悪さに悲鳴をあげ(夏仕様だったので冬が地獄だったのです)、二年目に物件探しに乗り出したときも、最初は中古の建物を希望したほどです。お金の問題も大きかったけれど、家創りは大変そうだから、短い人生、そのエナジーを私は書くことに向けたかったのです。
ところが中古で気に入ったものが見つからないものだから、土地を買って家を建てることになった。そのとき私はまず、ため息をついたものでした。あーあ、大変な日々が始まるのだろうなあ、と。
そして、実際の家創りは、本文でこれからくどいほど繰り返すことになりますが、それはそれは大変でした。ため息をついたときの予想をはるかにはるかに、超えていました。

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それでも私は自分のしたことのあれこれを、「特別」だとは思っていなかったのです。「多大な時間とお金をかけて自分の住む家をつくる」のですから、この程度の労力と情熱は当然なのだ、みんなやっていることなのだと思っていたのです。
だから、取材にいらした方々に「ここまでするとは! 驚きだ」と言われることが、最初はそれこそ驚きでした。
けれど、さすがに何度も何度も言われるうちに、「ふーん、そういうものなのか」と、次第に自覚してきたのです。
自分は単なる地味顔だと思っていた女の子が、周囲の人からアジアンビューティそのものだ、と言われ続け、自信をもち、ついには美女コンテンストで優勝するような感覚でしょうか。……ぜんぜん違うかもしれません。
とにかくそんなかんじなのでした。そして私は、ここ、小声になりますが、家を褒められてもほとんど嬉しくないのです。千人の人に家を褒められるより、一人の人が私の小説なりエッセイなりの作品に感じてくださったなら、そのほうがずっと嬉しい。本心です。
これは人生、自分が何にかけているか、何に価値を見ているか、ということと深い関係があるのでしょう。
そこで、くどいですが、話を戻して。
今、私はあのときの娘にきっぱりと言い直したい。
「自慢しているのではありませーん」
そして、冒頭の疑問、「じゃあ、何なの? なぜ雑誌に載せたり、今こうして本を出そうとしているの?」に答えます。
私の家創りの物語が、これから家を建てる人や、あるいは住まいそのものに興味のある方々のお役に立てるならば、どうぞ、と差し上げたいのです。どなたかがこの物語の中に、自分自身の美意識や生き方に沿った家創りのアイデアを見つけてくれれば嬉しいし、私のあの「苦労」がリサイクルされるようで、何か社会的にプラスの行為をしているような、よい気分になれるのです。
……平凡であたりさわりがない上に、いい人ぶっているようで自分でも嫌なのですが、これが正直なところです。
というわけで、汗と涙と熱がぎっちり詰まった『軽井沢ハウス物語』、どうぞお楽しみください。

 

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