◆耐えがたい飢えと神聖な拘束
フリーダ・カーロ、そしてピカソについての愛や欲望について考える日々が続いている。
考えて考えて、そうするとやはりアナイスのところへゆきつく。
アナイス。夫ヒューゴーがいてヘンリー・ミラーがいてオットー・ランクがいてという、愛で忙しい日々。ヘンリーとのことは暗記するくらい(してないけど)読んだから、ランクのところに集中してみる。『インセスト』から。
「彼に会わずには生きていかれない。飢え、耐えがたい飢えだ。今日も彼に会う。火に触るようだ。何という幸せ! どこか深いところで、とても深い暗闇で、私たちは結ばれている。彼のそばに身を横たえて、なぜ彼は、私をこれほど幸せにしてくれるのかと考えている。」
耐えがたい飢え。なぜ彼は私をこれほど幸せにしてくれるのかと考えている。
アナイス、こういう表現にはいつも驚く。自分が書いているようで。
ヘンリーとランクとの間で揺れ動いているときの言葉。
「しかたないわ。愛とは神聖な拘束なのだから。私は人を愛して、愛して、愛しぬく女なのだから。」
ランクがニューヨークに行ってしまうかもしれない、と聞いた夜。
「肉体だけの情熱だったはずなのに、私はまた、愛に絡め取られ、愛のすべてにはまり込んでしまった。肉体が求めあうときだけの愛ではなく、苦しみも、悩みも伴う愛。どうしてこうなるのだろう。」
……どうしてこうなるのだろう。きっとアナイス自身もわかっているはず。愛が多すぎるのだ。
アナイスの言葉に私は力をもらう。私より六十三年早く生まれたアナイスに今日も力を借りて、原稿を書く。昨夜はフリーダを書ききった。今日はピカソの欲望について、イマジネーションと徹底的なリサーチを融合させて、私だけのピカソを書く。ああ。書けますように。