■アナイス■「アナイス・ニンでいっぱい」
2021/09/14
2013年の12月8日はアナイスにどっぷりと浸った一日だった。それ以前からさまざまなアナイスの本を読んでいたのだけれど、その日の朝、とあるカフェで『インセスト』を適当にぱらりと開いたら、こんなフレーズが。
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生に向き合うとき、私たちはいつも私たちの二面性を恐れながら、それを大いに必要としている。
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二面性。
私、二面性どころではないな、と思う。そしてアナイスもきっとそう。確信に近いくらいにそう思う。多面すぎて、自分でも混乱しているのだと思う。
それにしても。
強いときにはとことん強くなるアナイスが好き。
弱いときには、とっても弱くなるアナイスが好き。
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私が欺いているのは男たちではなく、私の要求を叶えてくれない生そのものだということも、はっきりした。
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私は私の嘘を、勇気を持って、風刺をこめて、二重にも三重にも生きる。そうしなければ、私が抱えている愛を使いきれないからだ。
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今、私にはあり余る愛がある。その愛すべてを独り占めしたい男はいないはずだ。そんなにもらっても応えきれないのだから。
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読みすぎて、ページの端を折っているところのほうが多くなりそう。
今朝の雨はとても気持ちがよかった。もっと降れ、と窓を開けて長い間、雨を眺めていた。マンションの半年にもおよぶ修繕工事がようやく終わりそうで、シートがとりはらわれて、そうしてようやく外の景色が眺められるようになると、以前は、なんとも思っていなかった景色が、とてもありがたく思えてくる。
私は、いったんシートで覆われないと、景色のありがたさがわからないような、そんな人間なのでした。
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★ちょっと説明★
ここでいっている2013年の12月8日とは、アナイス・ニン研究会に参加した日のことです。アナイスの存在を私に強烈に刻印した本、『エロス幻論』の著者、中田耕治先生にお誘いいただき、参加できたのでした。中田耕治先生は、最初に日本でアナイスの作品を訳した方です。
中田耕治先生の、アナイスについてのレクチャーがありました。ぜったいほかの方々はこれをテーマにしないだろうなという「16歳のアナイスがどんなサイレント映画を観ていたか、そしてそのことが意味するものは・・・」、そういう内容でした。とても興味深かった。16歳にしてすでに、私が知るアナイス・ニンが存在していたのです。
翻訳者であり、アナイスの作品を日本に紹介することに尽力されていて、アナイスとも親しくなさっていらした杉崎和子先生にお会いできたことも、大きな喜びでした。
貴重な一日でした。あの日あのとき、中田耕治先生と杉崎和子先生、おふたりがいらして、そこに私がいられたことは、もう気が遠くなるくらいに奇跡的な出来事でした。
人生の記念日です。
中田耕治先生は、マリリン・モンローにしてもアナイス・ニンにしても、そしてそのほかのさまざまな「私が惹かれるひと」たちに通じている先生で、私にとってかけがいのない作家です。先生はブログで、この研究会のことをお書きになっています。そのなかで、私の名を出し、「そしてこの日、山口 路子さんが、いつかアナイス・ニンについて書いてみたい、と語ってくれた。私は、この作家がアナイス・ニンをどういうふうに描くか、想像するだけで、うれしくなった」、こんなふうに書いてくださっているのです。(2014年2月10日の記事です)
(中田耕治のコージートーク)
私、しっかりしなきゃ、と思います。いつか、アナイスを、書きます。(2014年7月25日)