■大庭みな子■「王女の涙」
2017/06/12
「自我の炎をこすりつけてころげまわるような生き方が、自分自身に連なるものとして尖端にあれば、自分自身は平穏に暮せる。燃えている炎は平穏な部分をどのように感じているのであろう。
その中間で、尖端の部分だけを見つめ、地下に根を張って、吸い上げるものの力の在り方は気にならず、ひたすらゆらめく炎ばかりをみつけて不幸になっている人の姿は、今では多少の鬱陶しさを混えた哀切なものに映る」
いまだって、もちろん(と威張ることではないが)平穏無事に暮しているわけではないけれど、ずっしりと張った根がひっきりなしに吸い上げているものには愚かなほどに鈍感で、炎ばかりに敏感になっている姿が、すこしだけ過去の自分として映るようになった、ように感じた。
唐突だけれど、ひところ流行った「自分探し」という言葉の胡散臭さを思い出した。
自分探しをしている自分は、ずっしりと根を張り、何かを吸い上げて生きている。そうしたままで、ゆらゆらと揺らめく炎を見るように、「ほんとうはこうなんだ、わたしは」と思いたい自分を「本当の自分」として、それを探している、そんなイメージ。
気が散りまくる季節がやってこようとしているなか、なんとか集中して、雑念にふりまわされず、今とりかかっている一つの作品を創り上げたい。