■中山可穂■「悲歌 エレジー」
2017/06/12
「この手で直接抱きしめてやることはできなくても、何らかの火を熾して遠くからその生をあたためてやりたかった。
たとえば愛を後ろ手に隠して、それと気づかせぬまま、愛を貫く方法はないか」
二つの短編、一つの中編からなる、中山可穂の新作を昨夜読んだ。
このひとのを読むには状況を整えないといけないから、そしてそれがなかなか困難だから、購入してからずいぶん日にちが経ってしまった。
読み終えたら、やはり眠れずに、ようやく眠ったらすぐ朝で、眼が腫れていた。小説世界を眠りのなかに連れてゆき、泣いていた。
「同世代の作家を、それも、どこかの知らない人に類似を指摘されるような作家を熱愛していることを公表しないほうがいいよ」
と、何人かの人に言われる。
でも、読んだあとに本を抱きしめたくなるのは、この人のだけなのだから、周囲にどう思われてもいい。
彼女は、私が諦めたり、もしかしたら捨ててしまって、実は命にかかわるほどに後悔しているかもしれないものを、胸にきつく抱いて生き、書いているひとなのだ。
冒頭の文、三つの物語を貫いている作家の想いが凝縮されているように私には感じられた。
そして私も今、この想いに強く共鳴する。恋愛だけではない、あらゆる種類の愛情のゆくえをイメージして。
ほぼ同世代で同じ時代を生き、書いている作家の、変容しない核と変容してゆく姿とを、リアルタイムで感じることのできる幸せを、今、感じている。
外はこわいほどのどしゃぶり。今日は予定を入れていないから一日外出しないで過ごせる。