■大庭みな子■「続 女の男性論」
2017/06/12
「疑いもなしに生き、伸びて行こうとするもののさまを見つめるとき、後ずさりし、言葉を交さずにその場を立ち去りたいと思う。
自分に疑いを持っている者は、疑いを持たない者とは対等に話すことなどできないのだ」
「いのちの叫び」というタイトルのエッセイの冒頭。
大庭みな子には、たいてい、激しく共感し、好きだなあ、と思うのだけれど、そして、この部分にも、はっと胸をつかれるほどに、共鳴するのだけれど、なぜだか今日は、「自分に疑いを持たない者」に対して、憧憬に似た感情を抱く。
これは、ここのところ何年か、自分のことを疑いすぎてやってきた反動かもしれない。
もちろん、基本の気質は変わらないので、「疑いを持たない者」に変身することはできないけれど、何事も過多はよくないのだから、ほどほどにしておかないと身が持たない。
だから、すこしは「疑いを持たない者」と接して、なるほど、このようなモノの考え方をすればよいのか、と勉強することも、本気で、必要かもしれないと思う。
とはいえ、私は根がひねくれているから、こんなことを書きながらも、実は、「でも、私は絶対的に『疑いを持つ者』を愛す」と確信している。