ブログ「言葉美術館」

◆待っています

 お友だちが、昨日の朝日夕刊にあったよと、きっと私のこころに響くのでは、と谷川俊太郎の詩を送ってくれた。

 たぶん全部転載すると叱られるのだろうからできないけれど、朝、遅くに起き出して、彼からのメッセージを読んだ瞬間、涙がはらはらと落ちてきた。

 ううっって泣くのではなく、はらはらと落ちてくる。涙が。

 ふつう、はらはらと流れるっていう? ぽたぽたと落ちるっていう? でも違うの、はらはらと落ちてきたの。

 最初の一行目を目にした瞬間から。

「あなたを待っています」

って一行を目にしたその瞬間から。

 それから、

「あなたを待っています
決して来てくれないと知りながら
独りで生きることに耐え
思い出がそのまま希望であるような午後
いないかもしれないと思いながら
でも待たずにいられないあなたを
待っています 明日を夢見ずに」

「許されることを期待せずに
どんな祈りにも頼らず
待っています
咲き初めた紫陽花とともに
あなたを」

 こころのど真ん中に命中してしまって、私、今日は一日「待っています」なんだろうな。

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 私の、この数年間のテーマ、とくに、ここひと月くらいのメインテーマは「待つ」だったのですよ。

 エリュアールの詩も思い出す。

 28年前、恋人が僕たちの詩だ、って贈ってくれたエリュアールの、あの、大好きな詩を。

***

われわれは待っていたのだ 
おたがいの姿をみるために 
いつまでも
なぜなら
われわれはたずさえていたのだから
愛を
愛のわかさと
そして愛の理由を
愛の知恵と
そして不死とを

(「戦う七つの恋愛詩篇」より)

***

「待つ」って、とっても甘美なときと、とってもせつないときがある。とっても苦しいときもある。絶望的なときも、死にたくなるほどのときもある。

 でも、私は待っている。

 このところブログが更新できなかった。もう少しで、なんとかひと段落しそうな原稿が、あいかわらず苦しくて、どうしてこんな想いをしてまで書くんだろうって、泣きながら書いているから。ばかみたいに。

 朗読とかインスタグラムとかは、合間の息抜きにすぎない

 ああ。むしょうに紫陽花が見たい。紫陽花を見にゆきたい。私のこころのなかの紫陽花がわかるひと、そんなひとと見にゆきたい。

 私の芸術を理解し愛してくれるひと、私という性悪な女をそれでも愛しいと言ってくれるひと、クレイジーなところもいいよ、と言ってくれるひと、そんなひとを私は待っている。

 そんなひとがいる確率はどのくらいなんだろう。1パーセントより低いってのはわかっている。待ちながら死んでゆくような気もする。暗いな。

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