ブログ「言葉美術館」

■■プロフィールの写真■■

2016/07/01

110「ココ・シャネルという生き方」関連で、取材を受けることが増えて、そのためのプロフィール写真が必要となった。

もちろん、運転免許証ではないのだから、数年前のだっていいのだけれど、それらは髪も長いし顔も(今より)若いし、なんとなく気がひけて、新たに写真を撮ることにした。

「ほうれいせんがくっきりなのはいやだからね」「なるべく顔がどーんとうつらないようなかんじで」「左側からね」「肩から腕にかけてのライン、大丈夫?」

うっとうしい注文を飛ばしながらの撮影となる。

返ってくる言葉は、

「もう、これはどうしようもないよ」「これ以上とばすと、顔がまっしろになるよ」「せいけいしてきたら」等々。

いくつかピックアップして、それでも「どれもだめだ」と嘆く私に、「こういう顔してるんだよ」と声がかかる。

そして畳みかけるように、「実際に会ったとき、うわあ、あの写真はめちゃくちゃ修正いれてるな! と思われるのと、写真よりいいじゃん! と思われるの、どっちがいい?」という意味不明な質問が。

あらためて、女性誌を広げて、いろいろなひとのプロフィール写真を見る。

だいたいが、カメラ目線でにこやかだったり、クールに決めていたり、している。……うーん。

モデルじゃないんだし、そんなにこだわることないよ。

とほうぼうで言われる。けれど、そのたびに思う。

ヘアメイクやファッションと同じ。

自分をどう見せたいか、どう見られたいか、という問題なのだ。

それは美醜とは違う。そう。実物より「美」くしく見せたい、とはあまり思わない(ほうれいせん云々も、もうしょうがないとは思っている)。

じっさい、「わざとヘンにしてるの?」という質問を受けることも多い。

じゃあ、なんなのか。

はい。たぶん、これは私にとって、哲学的な問題なのです。笑わないでください。そこのあなた。

私は、私の人生のそのシーズンを象徴するような写真が欲しい。そこからたちのぼる空気感で、それが感じ取れるような、そんな写真が欲しい

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