◆私のアナイス ブログ「言葉美術館」

■■春のルヴシエンヌへ■■

2017/05/26

Imageswavgl0ok我が家の庭、ほとんどなんにも手を入れていない庭が、日に日に緑めいてきている。

芝なのか雑草なのか、もうなにがなんだかわからなくなってしまったが、地面にもぽちぽちと、そして、細い枝に、薄い黄緑が出始めた。


四月の声を聞いてから、軽井沢そのものや、軽井沢ハウスと勝手に名付けた我が家のことを考えることがあり、ずいぶん前に、軽井沢での、この家での生活を「美しい牢獄」とどこかで言い、どこかで書いたことを思い出し、だからアナイスの日記を、またまた読みたくなった。


アナイスは自らの結婚生活を、ルヴシエンヌでの生活を、「美しい牢獄」と呼んだ。私はそれを借用したのだ。


わたしの家族も、庭も、美しい生活も、わたしの心をしずめてはくれないから。わたしは自分が美しい牢獄にいることを自覚している。そこからは書くことによってしか逃れられない


(もう、借用とは言いたくないほどに、自分のものになってしまっている。アナイス、あなたに傾倒するあまりなのか。それとも。)


パリから20キロくらいのところにあるルヴシエンヌ、アナイスが住んでいた1930年代はまだ「近代生活にそこなわれ」ていない、「古い村」だった。

「セーヌ川を見おろす丘の上にあって、空気の澄んだ夜にはパリが見える」。


200
年前に建てられた館で、その館の庭は草木が伸びるにまかせてある。

そして部屋は、「それぞれちがう色に塗った。どの気分にも一つずつ部屋があるかのように、熱情には漆の赤、夢想には淡いトルコ青、やさしさにはピンク、憩いには緑、タイプライターを打つ仕事にはグレーを。」


読み返して、15年前、世田谷区の用賀、ふるびたマンションの、それぞれの部屋を、それぞれの色に塗ったことを思い出した。


アナイスの館や、用賀のマンションを思うと、軽井沢ハウスは、色彩があまりない。


もっといろいろと遊んでみたかったようにも思う。


んなこんなで、突然ルヴシエンヌに行きたい思いが突き上げてきて、いろいろとネットで検索してみたけれど、ほとんど情報がない。びっくりするほどにない。


そんななかで、数年前の情報だけれど、アナイスのこの館に、今はジャン・ユーグ・アングラードが住んでいる、という、どなたかのブログに行き当たり、わあ、と声をあげてしまった。


この俳優、私は好きなのだ。好きな人同士が結びつくと、とても嬉しくなる。サガンとコクトーが一緒に映っている写真なんかを見たときや、ピカソとシャネルのや。


パラパラとアナイスの日記を繰る。

多くのページの端が折られ、多くの箇所にラインが引かれている。今、胸に飛び込んできたのは、これ。


「わたしはいつも二つの世界のあいだにいる、いつも葛藤のただなかにいる。ときには休み、くつろぎ、隠れ場所を選び、最終的な選択をしたいのに、わたしにはできない。」


春のルヴシエンヌに、むしょうに行きたい。

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