ブログ「言葉美術館」

■■安吾の「魂の問題」■■

2016/06/27

Kiki「諸君は罪を知っているか。罪とは何ぞや。貞操を失う女は魂の純潔も失う、と。しかり。

家庭に安住する貞淑にして損得の鬼のごとき悪逆善良なる奥方を見よ。魂の純潔などはない。魂の問題がないのである

知人から一通のメールが届いた。かなり前の食事の席で、貞操観念とかその周辺のことが話題となって、私が大好きな坂口安吾の言葉をひいた(らしい)。そのことを思い出して正しい文章を知りたくなったので本の名前を教えてほしい、という内容だった。

私はこれをすっかり「悪妻論」のなかの文章だと記憶していて、見つけるのに時間がかかってしまった。

エゴイズム小論」だった。

きちんと赤線がひいてあった。(!!)マークまであった。

ラインを引いたのはもう二十年も前のことで、初めて読んだときのことが鮮やかによみがえった。

あのときは、魂の問題がない人たちのことを軽蔑することによって自分をすくっていた(もちろん自分にはあると思っていた)。

今は自信がない。

ただ、魂の問題という、こういう種類の言葉を使いたがる私のような人と、そうではない人たちが世の中には存在するのだ、ということはわかる。

どちらが正しいわけでもなく、永遠に、交わることはないということも。

もうひとつ思うのは、あらためて男女の関係に、それが夫婦であっても恋人であっても、損得の感情を持ちこむことが私はとても嫌いなのだ、ということだ。

私はメールをくださった彼女の心中を知りたいと思った。

彼女への返信にも記したけれど、それを教えてね、という意味ではない。

具体例を知りたいわけではなく、彼女がどのような事柄に出会って、どのようにそれと向かい合って、魂の問題を思い出したのだろう、という彼女の心の動きを想像してみたくなった、という意味だ。

人間というもののややこしさとうっとうしさと愛しさがそこにあるように感じる。

外は暗い緑のなか雨が落ちて、その合間に濃い霧があらわれてはいつの間にか消えている。

これ、つまり仕事があまりはかどらずに外をぼんやり眺めている時間が多いということ。

写真は大好きなキキ。

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