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◆心やさしき男性を讃えてinタンゴサロン・ロカ

2023/09/10

 スタミナありますよねー、と言われることが増えた。

 数年前には考えられなかったなあ、と感慨深い。何かあれば寝こんでいたからね。そう、たしかに私は元気になった。嬉しい。人生の暗闇を抜け出した感もあり、その大きな原動力のひとつとなっているのが一年ちょっと前に出逢ったアルゼンチンタンゴ。

 いろんなめぐりあわせがあり、私の仕事場兼「ブルーモーメント」の階下に「タンゴサロン・ロカ」がオープンした。

 私の師である、なかやまたけし先生のタンゴサロンで、プレオープンの形とはいえ、そろそろひと月が経とうとしている。

 もちろん、迷いはあった。だって、仕事場の下でタンゴだよ。私、誘惑に勝てるかな、仕事に影響しないかな、って心配だった。けれど、いまのところそれは杞憂だったみたい。むしろ、仕事にはよいかんじに作用している。今日は階下で踊りたいからがんばるぞー、みたいなかんじに。

 それはいいの。それよりも、私にとっては、とても困ったことがあるわ。たいへんだわ。

 ということが判明したのは、最初の土曜日のレッスン&プラクティカ(自由に踊るかんじの)が終わったときだった。

 みなさんのお帰りの時間になって、さよならーと全員がいなくなったあと、私は、あれ、なにこれ、と茫然とした。

 窓際のソファに座って、自分の好きな曲を流しながらみなさんを見送って、さーて、余韻に浸ろう、なんて思っていたのに。

 おそろしいほどの寂しさに襲われたのだから。

 余韻はある。ソファに座ってタンゴを聴きながら、足先はステップを踏んでいるくらいに。

 それなのに、むしょうに寂しい。

 あまりにも愚かゆえ、ちょっと失念していたが、私は好きな人、あるいは好きな人たちに「帰られる」ことが、めちゃくちゃ苦手なのだった。

 えーん。帰る側でいたかった。と思った。

 けれど、これも、いろんなことと同じ、慣れてゆくのだろう。

 

 昨日はタンゴサロン・ロカでの初のミロンガ(タンゴのダンスタイム)だった。

 楽しみにしていた。あんまり人数は入れないけれど、好きな人たちをお誘いして楽しみにしていた。

 なのに、その朝、ひどい痛みとともに目が覚めた。最近元気になったから、って油断していたからか、あまりにも忙しかったからか、眠れない夜が続いていたからか、ようするに、少女時代からの持病のひとつが、こんなときに出てしまったのだ。

 念のため、それは大したものではない。けれど、この持病は身体からのサイン、疲れているよ、免疫がおちているよというサイン。そして、これになると外出が不可能になる。強い抗生剤と鎮痛剤で胃が痛くなって食事もできない。

 でも、もう長いつき合いで慣れているし、いつものクスリを飲めばきっと夜までにはなんとかなるだろう、と思った。そうして、ソファに横になりながら原稿に手を入れていた。

 焦り始めたのは18時くらいから。身体がいうことをきかない。痛みも止まらない。どうしよう、こんなんでタンゴなんて踊れるわけがない。でも今日はどうしても行かなくちゃと勝手に思った。

 そこで、私は自分に暗示をかけ始めた。19時30分から始まるのが自分のトークイベントだと考えなさい、と。そのためにみんなが集まってきてくれるのだと考えなさい、と。

 90分後、私は階下に降りた。今日は事情を話してゆったりと踊ってもらおう、って、そんなふうに考えながら。それにしても階下に降りられる状態にまで回復してよかった、って思いながら、ロカのドアを開けた。紅い世界が広がる。

 タンゴが流れている。好きな曲も流れている。ソファに座って、いつもの赤ワインではなくミネラルウォーターを飲む。

 でも、やっぱりタンゴのリズムに身を委ねていると赤ワインがほしくなって、ちょっとだけ口にする。好きな曲が流れる、踊りたい、と思う。そうして、誘われるまま、おそるおそる踊り始める。からだのなかに、なにかとても熱いエネルギーがわきおこってくるのを感じて、あれ、と思う。

 そして一時間後には、私はすっかりタンゴモードになっていた。痛みとかいろんなことが、ふっとんでいた。薬のおかげかもしれないけれど、それだけじゃないのはわかる。私ったら、こんなにタンゴが好きなのね、とあきれるほどに実感した。

 ずうずうしくも、瀕死の状態にあったピアフがステージでは別人のように蘇った、ってそのかんじの片鱗がわかるような気がした。人を生かすものは、きっと、「生の実感」なのだ。

 そして、いつもの帰りの時間になった。

 書きたかったのはここからのこと。

 終わった……よかった、終わりまで身体がもってよかった……って、私は安堵とうっとりとした余韻のなかでいつものようにソファに座り、自分のお気に入りの曲を流してみなさんを見送ることにした。みなさん、シューズを履き替えてコートを着ている。

 どの曲にしようかな、って自分のiphoneのプレイリストを眺め、「El Aire en Mis Manos」を選んだ。直訳すると「私の手の中の空気」?違うかな、たぶんそんなかんじだと思う。私はこれを「私のてのひらのなかの永遠」と超訳、お気に入りの曲のひとつ。

 そして、その曲が流れ始めたとき、もうすっかり帰り支度を整えたお友だちのひとりが私を誘ってくれた。もうコート着ているのに、シューズも履き替えているのに。

 プレイリストそのままにしていたら次に「Cinema paradiso」が。するともうひとりのお友だちが、もうコートを着ているのに、シューズも履き替えているのに、踊ってくれた。

 3曲目は「Tango del ultimo amor」、「最後の愛(のため)のタンゴ」ってなるのかな。でもこれ、あるとき親友が「究極の愛」って超訳してくれて私はそれを気に入っている。

 その曲が流れ始めたら、また、もうひとりのお友だちが、コートを着ているのに、シューズを履き替えているのに、踊ってくれた。

 最初の「El Aire en Mis Manos」を踊っているときから私にはわかっていた。

 彼らに私は、いつだったか、とり残される寂しさについて話していた。彼は、彼らはそれを覚えていて、私をきづかって、踊ってくれている。やめてよ、なんてことするのよ、泣きそうだよ、と思いながら私は、はじめて、タンゴには慈愛もあるのだということを知った。

 情熱、憎しみ、孤独、欲望……そういうものだけではなく、慈愛もあるんだって。

 タンゴはなんて深く、そしてラストの3曲のダンスはなんて優しかったことだろう。身体がそんな状態だったからこそ、なおさら沁みた。

 私は彼らの友情を抱きしめて、その夜はいつもと違う涙が心にあふれた。

 あのとき、私たちの間にあったものは友情はもちろん、「同情」があったのだと、いまは思う。

 同情。相手の感情に共鳴してそれを共有したいと思う気持ち。私の好きな感情のひとつだ。

 彼らもこれを読むのだろうと思うと照れるけれど、こんなに感動したことは残しておきたい。

 私はタンゴを愛しちゃったみたい。たぶん。好き、をこえちゃったの。もうだめなの。

 って、この記事を書いていたら、敬愛する作家アナイス・ニンのエッセイのタイトルが浮かんだ。「心やさしき男性を讃えて」。この記事のタイトルにぴったり。

 そしてそのエッセイにはこんな一文があり、また胸うたれた。

「どうか感受性の豊かさを、弱さと誤解しないで」

 この言葉を、私の周囲の心やさしき女性たちへ贈りたいです。

タンゴサロン・ロカはこちらからどうぞ。いつでも大歓迎です

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