◆私のアナイス ◎Tango アナイス・ニンという生き方 ブログ「言葉美術館」

◆古い傷は、あたらしい傷によって癒される

 

 本来の私、……と書いて「本来の私」ってなんだろう、と自問しながら、とにかく、自分自身が選んだ生き方が弱々しくどこかに行ってしまいそうな不安にかられてアナイス・ニンにすがる。いつもの「インセスト」を繰る。

 最初に目にとびこんできたのはこれ。

「以前のように、愛を断片に分けていれば、すべてがうまく行く。完璧な愛を期待するのは危険すぎる。女でありすぎる」

 これはいつも私を支えてくれた言葉のひとつだった。いまも同じように思う。でも、以前に見えなかったこともまた見える。自己防衛。

 次はこれ。

「感情が溢れると、私の文体は崩れる。脚が不安定なのだ。私のヴァイタリティの重さを支えられるような文体にしなければいけない」

 まさにいまの私自身の想い。感情が溢れすぎて、文体が崩れてしまっている。もう少しで、しあがるはずの原稿を前に、背筋を正して、感情をコントロールして、もう一度向かい合わなければ、と思う。

 同時に、これは私のタンゴそのものでもあると思う。感情が溢れすぎて、私は崩れる。そう、脚が不安定だから。からだが不安定だから。

 私は、私のヴァイタリティの重さを支えられるような文体にしなければならないし、私は、私の感情のヴァイタリティの重さを支えられるようなからだをつくらなければならない。

 最後に胸にささったのはこれ。

「古い傷は、あたらしい傷によって癒される」

 これが真実だとしたら、人生を独り歩いてゆくなかで、傷は増え続けるけれど、あたらしい傷が古い傷を癒すのだとしたら、それが真実なのだとしたら、真っ赤な傷口から血がどくどくと流れ出しているような傷が増えるのではなく、傷跡が増えてゆくということなのか。そして、いま私にはいったいどのくらいの傷跡があるのだろう。

 そんなことを考えながらさらにページを繰る。

 そして次の一文で、本を閉じ、仕事に戻ろう、とデスクに向かえた。

「独りのとき、私は強くなります」

 そう、私は独りであることを嘆くのにはもう飽きた。強くなって、愛する人たちに愛を与える。

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