■■イエーツの永遠の恋人モード・ゴン■■
2016/06/30
このところ言葉に対して鈍感な気が、ふとして嫌になる。
小説を書くときは、句点読点はもちろん、漢字を使うか平仮名にするか、ほかのひとにとってはどうでもいいことに自分の存在意義をかけたりするのに。
そんなかんじが朝からするので、すぐ手にできるところにある詩集二冊を手にとって、ぱらぱらと繰る。
エリュアールとイエーツの。
結局この詩集だって、私とエリュアールのあいだに、イエーツと私のあいだに、翻訳者が存在する。
異国の言葉がわからない私にとっては、だから翻訳者の存在は大きすぎるほどに大きい。
ところで、イエーツについての解説を読んでいて、私はモード・ゴンよりちょうど100年後に生まれたことを知った。
モードは1866年にイギリスで生まれている。
イエーツが熱烈に愛した女性で、モードはイエーツにとって
「この世のものならぬ美しさで、有名な絵や、詩や、昔の伝説に出てくるような美だったという」。
イ
エーツはモードに恋愛をもとめ、モードはイエーツに友情をもとめた。
あるとき、ふたりはホウス岬に行った。大西洋につきだした灯台のある景勝の地にたたずみ、ふたりは頭上を舞う鷗をながめていた。
モードが言った。
「わたしがもし鳥になれるなら、あの鷗になりたい」。
イエーツは後に「白い鳥」という詩を書き、モードに語りかけている。
――「私たちは泡だつ海にたゆたう白い鳥になる」
私はいま、森のなかにいて、泡だつ海は遥か彼方なのに、今朝はとても近くに感じる。
たまらなく恋しいひとが近くにいて、ふれるほどに近くにいて、海が眼下に広がり、鷗が舞っている。そしてふたりはその後、同じ家庭には帰らない。
ふたりの人生が何度か交差することはあっても、互いの形をとどめないほどに混ざり合うことは、ない。
友情尊敬情愛といったあらゆる感情と恋愛とのあいだに横たわるものはいったい何だろう。
欲望かな。
そのひとの肌にふれたいという欲望。
そんなことを早朝から考えている。外は晴れ。まだ色が変わらない木々の葉が風に揺れている。