ブログ「言葉美術館」

◾️放浪する魂とサガンと現実

2018/01/13

 

 新年が苦手。年末は、一年が終わることにどこかほっとするけれど、年のはじめは、なにか前向きに行動しなければならないような強迫観念みたいなのを勝手に感じて息苦しい。

  昨年末はさまざまなことが私に起こって、それらと、とにかく真剣に向かいあおうとつとめていたから、自分自身と向かい合わなくても済む状況だった。心踊る会話があり、驚きがあり、タンゴに溺れ、そして出版が約束されている原稿を書いた。

 現実はどしゃぶりのように容赦なく私の上に降ってきていたけれど、とにかく年が明けるまでは考えなくて良いと自分に逃避を許していた。

 そして年が明けたら、こんなときばかり確実に、現実が目の前に現れた。本当に欲しいものはけっして確実に現れたりしないのに。

  親友と電話して、そんなことをこぼしたら彼女は笑いながら「ボンジュール、現実だね」と言った。サガンの「悲しみよこんにちは」みたいに。

 会社を辞め、フリーとなり、今後のことを考えると不安でたまらなくなる。ひとりで生きるということの自由と孤独については、2011年以来ずっとかみしめてきたことだけど、ここに経済的な問題が加わっておしつぶされそう。

 司法書士さんとか税理士さんとかにすがりつきたいような思いにかられる。

 今朝は泣きながら目覚めた。

 悲しいことがあったわけではない。ただひたすらにさびしい、一緒に眠ってくれるひとがほしいと泣いている夢で、目覚めてからもただひたすらにさびしくて泣いていた。

  いつだったか、メイ・サートンの日記に同じことが書いてあって、そのときたしか、サートンは60歳近くで私は40代前半で、60になってひとりで泣きながら目覚めるなんてさびしすぎる、と思いブログにも書いたように思う。

 50を過ぎても、たびたび泣きながら目覚めているいまとなっては、生きていたとしたらだけど、60を過ぎても余裕で私はこうして泣きながら目覚めるに決まってる。

 数日前に、とつじょとして、私は書きたいものを書きたい、という想いにかられて、でも、この想いが強くなりすぎると、仕事に差し支えが出てくるから、と躊躇して、でも、こんなに強い想いは久しぶりだった。むしょうにサガンの伝記映画が観たかった。けれどDVDをもっていなくて、だから資料としてとっておいたドキュメンタリーを観た。

 2004年に死んだサガンを思う旅を、瀬戸内寂聴がするという内容で、サガンの本を書くときに何度も観たはずなのに、やはり時が経つと、こんなに別の色彩が目に染みる。痛いくらいに。

 サガンも瀬戸内寂聴の共通点。恋愛と孤独というものがメインテーマであるということ。瀬戸内寂聴は51歳で出家してから、それは変わっただろうけれど、私、自殺まで考えてそれで51で出家した瀬戸内寂聴がわかる、とまでは言わなけれど、想像くらいはできる。いまの私と同じ歳。

 ふたりの作家に想いを寄せながら、ときどき涙しながらドキュメンタリーを観終わって、書棚から久しぶりにサガンの本を何冊かとりだしてみた。売れた本もあるしあまり売れなかった本もある。でも、愛読者の私にとってはそんなことは何の指針にもならない。私はサガンの、愛するひとたちへのまなざしを、愛を渇望するひりひりとした想いを、そしてどんな状況だって、自分自身を冷徹に見ている、そんなのを感じたくて彼女の本を読む。

 そしてこんなにすくわれる。

 ドキュメンタリーのなかで瀬戸内寂聴が言っていた。私もあなたも引越し魔。数年ごとに住むところを変えていた。私たちは放浪する人間なのだ、と。大庭みな子も行っていた。自分は放浪する人間なのだと。

 私もずっとそうありたいと、実際には住むところを変わらなくても、放浪する魂はもち続けたいと思っていた。

 忘れていた。そんな大切なことを私は忘れていたのだ。

 私は、私が手をかけないと死んでしまうものが苦手で、だから植物を育てることもダメだし、動物も飼えない。そんな私に娘がいることが自分自身でもときどきすごく不思議だけれど、その彼女ももう私なしでも大丈夫な年齢になった。あと数年もすれば経済的にも独立するだろう。だから私にはもう、放浪できない理由はない。

 そして私はどうするのか。何をするのか。

 人生は一度きり。やりたいことをやらないで後悔するのは卑怯だ。

 という荻昌弘の言葉を、ふと思い出した。

 2018年初のブログ記事がこれ。暗いかな。だとしても、わりと正直に書いた結果。

 写真は今年はじめて観た夕陽。台湾の淡水。

 

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