■■嘘つき■■
2016/06/30
なじみのある自分自身の性質だから、もうこういうのに戸惑いはしない。
いろんなものの助けを借りてなんとか日常に適応している、と信じたい。
ふだんは桃色に見えるものが、よどんだ色に見えたり、普段はなんなくジャンプしてよけられる障害につまづいてしまったりするようなかんじ。
突然ひと恋しくなって、あまりしないメールなんかを送ったりする。返信がすぐにないだけで孤児のようになるのだから、やめればいいのにやめられない。
私の新刊を読んでくれないだけで落ち込む。それで愛情がはかれるはずもないのに。
そんななか久しぶりの安吾さま。
さいきん、彼に対するまなざしが変わってきて、彼の言うことすべてに無条件にうなずいたりはしなくなっている。ちょっとさびしいけれど仕方がない。気持ちは変わるものなのだから。
移り変わる季節をどうしようもできないように、これもまた。
安吾さまの場合、とくに恋愛に関しては私とは決定的に違うところに、彼はいる。
出逢っていてもきっと情熱恋愛的な関係にはならないだろうな、と勝手に妄想している(もちろん安吾の気持ちは棚上げ状態)。
昨夜、安吾とともに眠りについた。
「僕はただ、実際に在ったことをありのままに書いているのだけれども、それだから真実だとは僕自身言うことができぬ。なぜなら僕自身の生活は、あの同じ生活の時に於ても、書かれたものの何千倍何万倍とあり、つまり何万分の一を選びだしたのだからである」
「選ぶということには、同時に捨てられた真実があるということを意味し、僕は嘘は書かなかったが、選んだという事柄のうちには、すでに嘘をついていることを意味する。」
「自伝的小説」についての箇所。私はよく「あの小説のどのあたりがフィクションでどのあたりがノンフィクションなんですか」という問いを受けるけれど、こういうことなのだ。
小説は別としても……、選ぶという行為だけでそうなのだから、大嘘つきということになるな私は。
さらにページを繰る。
「けれども、およそ人間は、常に自分自身をすら創作しうるほど無限定不可欠な存在である」
なんども舌でころがしてみる。
自分自身を創作する、ということについて考えを泳がせるとまた「嘘」につながってゆく。ちょっと時間があいた夕刻。
絵はグエン・ジョンの大好きな作品。