◎Tango アルゼンチンタンゴ ブログ「言葉美術館」 私のタンゴライフ
◆雛祭りと官能的な女性とタンゴ
2023/09/10
「注意深い無関心、目立たぬ好奇心、見せびらかしでない図々しさ、これらが完璧に調合されたもの」
セルジュ・ルタンスの「官能的な女性とは」についての言葉。
ずっと前に書いて私自身が忘れていた。
あなたのブログにあったルタンスの、あの言葉いいね、と大好きなお友達が教えてくれた。
あらためて、この言葉と向き合えば、これって、私が好きなタンゴに通ずる。
この3つをもっていたら完璧だと思う。もちろんフィジカル面はそれはそれとしてあるのは当然なのだけれど。
そしてこれはタンゴだけではない、好きな人をどんなふうに愛したいか、にも通ずる。深い言葉だと思う。
3月3日雛祭り。その日、私は用賀に出かけた。過去への愛惜に胸がしぼりあげられるような午後を過ごして、娘のために桃の花と雛あられを買って帰宅した。
2018年3月3日。ほかの日と同じ。唯一無二の1日。
そして、その夜はタンゴサロン・ロカで過ごした。過去と現在がぎゅっと凝縮したような1日。
だから、その夜のタンゴは特別な意味をもっていた。ノスタルジーから自分をふりきるような。そして私は私の「現在」のすべてを全身全霊をかけて愛したいと願った。そんなきもちで踊った。男性と、そして女性と。
翌日は私のタンゴの先生が主催する「等々力ミロンガ」だった。あれは奇跡的なミロンガ(タンゴのダンスパーティーみたいなもの)だったと思う。
たけし先生の選曲のすばらしさはもちろんある。それに加えて、あの場の空気感は、そうあるものではなかった。タンゴを愛するひとたちの想いが会場にあふれてうずまいて、熱くて濃くて、私、いまこの瞬間、この熱いタンゴの海のなかで溺れ死んでもいい、と思えるほどのものだった。タンゴを始めてまだ一年半くらいだけれど、人生のベスト3に入るミロンガだった。
こんなに濃密で充たされた時間が人生にいったいどれくらいあるだろうか。アルゼンチンタンゴと出逢えたことにひざまずいて感謝したいくらい。
そんな話を今日の午後、松崎美和子さんに話した。3月8日渋谷ヒカリエでのトークイベントのMCを美和子さんにお願いしていて、その打ち合わせにいらしてくださったのだ。
彼女はフリーのライターさんで、数年前に取材を受けたことがきっかけで親しくなった。頻繁に会っているわけではないけれど、私は彼女の取材能力、文章力を尊敬している。そんな彼女との打ち合わせは、もはや打ち合わせではなかった。ときに涙もあるくらいの深い話ができて、私はそのことがとても嬉しかった。
同じ言語で会話できる人はそう多くはない。
官能とか、フェミニティとかといったところにも話が及び、私のタンゴへの熱に興味をもってくれた美和子さんがタンゴサロン・ロカに遊びにいらしてくださることになり、そのこともとても嬉しい。
ある人を好きになり、それは恋愛に限らず、そう、ある人を好きになったなら、その人の好きなものを知りたいという欲求をもつことは自然なことだし、知りたいためにそれを行動に起こすことに意味があると私は思っている。だから私は美和子さんのベリー・ダンスも見に行った。彼女が愛するものを知りたかったから。
愛は行動なのよ、言葉だけはだめなの。
って言ったのはオードリー・ヘップバーンだけど、私も、ほんとうにそう思う。思っているだけではマスターベーションにすぎないし、言葉だけでは物足りないし、体感として信じることはできない。
言葉だけの人が多すぎる。さいきんの私はそのことにうんざりしている。
今日の話で印象深かったことは、美和子さんが、ちょっと思いきって、といったかんじで私にした質問。「努力は報われると思いますか?」
私はこたえた。「いいえ」。
報われないことのほうが多いです。けれど、私は結果ではなく過程に価値を見るので、ブラウニングが言うように、人間の真価はその人が何をなしたかではなく、何をなそうとしたのか、そこにある、って思っているの。
…… あなたは何をなそうとしているの?
何かをなそうとしている人が私は好きだし、心の奥底から愛しいと思う。結果は私にとっては重要ではない。そもそも、何をもって「結果」と言うのだろうか、とさえ思う。
そんな話もトークイベントでできたらいいな。
衣装の打ち合わせもして、当日が楽しみになってきている。イベント前はたいてい沈むのに、楽しみだなんて美和子さんの存在があるからこそ。
いらしてくださる方に、願わくばひとつ、そう、たったひとつでいい。なにかしらの言葉、感覚を持ち帰っていただきたい。
そんな想いで臨みます。
そしてイベント終了後は、タンゴサロン・ロカで踊りたい。
「注意深い無関心、目立たぬ好奇心、見せびらかしでない図々しさ」を意識してみようかな。