■個人から生まれる普遍■
2016/06/28
レミオロメンのCD(「レミオベスト」)を購入。歌詞カードを眺めながらじっくり聴く。
金光裕史氏の文章があって、なんにも知らなかったレミオロメンのこと知ったような気になれた。そして氏の文章のなかに、胸に響く一文があった。これだけでも買ってよかった。
「誰も皆、自分の人生しか生きられないけど、それを素直に綴っていくことで普遍性が生まれる」
自分の人生に起こっていることは、自分の人生に起こっているからこそ、特別であって当然なのに、いままでの癖で冷めた視線でそれを眺めることがまだ抜けなくて、よくある話、的な視線がまだあって、それが私はかなしい。
冷めた視線で自分自身に起こっていることを眺めているときは、いつものように心の琴線にふれた言葉をノートにメモすることができない。
金光裕史氏の言葉は、私自身、何度もいろんなところで書いてきたことだった。
たとえば、フリーダ・カーロの絵についても、同じことを書いている。
それでも、こうして、そういうことが、ときどきどこかに行ってしまう。
私は私の人生しか生きられない。そこで思ったこと体験したこと痛み苦しみ悦び恍惚、それをどのように表現するか、表現したいかしたくないか、しないではいられないかしないでもいられるのか、それが問題だった。
個人的な体験として、その日そのとき、心に響いた言葉をノートに書きとめる。
それだけは続けよう。
私自身に起こっていることは、私自身にとって特別なのは当然なのだから。
最近、胸の奥で落涙した言葉。
「病気ではない、ただ感受性が鋭いのだ」
「憂鬱などなくても愛があれば五感がとぎ澄まされひとのこころをうつ文章が書けるのだ」