◾️イベントの摩擦熱、その夜のタンゴと「贈り物」
2018/06/04
先週の土曜日、ブルーモーメントで久しぶりのトークイベントを開催した。トークイベントと言いながら、いつもの路子サロンみたいなかたちになった。そんな気分だった。
「ジェーン・バーキンの言葉」出版記念、というテーマだからもちろんジェーンについての話。
「おわりに」の朗読から始めた。ここに、私の想いのほとんどがある。
前日に3回、ひとりで朗読をした。練習ではない。読んで慣れておかないと、泣いて読めなくなるから。自分が書いた文章を読んで泣くだなんて、どれだけ酔いやすいんだか、どれだけナルシストなんだか、と思われちゃうかな。たぶん、その両方なんだろうけど、でも事実として、そうなってしまうのだからどうしようもない。
それがわかっているから、ひとまえで醜態をさらさないように、事前に慣れておくわけだ。
参加者の皆さんからの質問に応えるかたちですすめたシーンもあった。
こんな質問をいただいた。
ジェーンが長女を自殺という形で喪って、一度は崩壊して、そこからどのように立ち直ったのか、それを知りたいです。
精神的なショックで病が悪化し、入院して、活動も休止していた彼女はどうやって立ち直ったのか、という問いかけだった。
私は考えた。
こんなこと、あんなことがあって、ジェーンは立ち直ったのです。
という答えがないことはわかっていた。だからそのときは、こんなふうに話した。
ジェーンにはほかにも娘がいたし、孫たちもいたし、自死という選択はなかったでしょう。闘病中をふりかえって彼女は言っています。私を愛してくれていて、元気になって欲しいと願ってくれている人たちのために、自分にできる最善を尽くした、と。おそらく、その瞬間、その瞬間、と向き合い続けた、必死で、そうした。としか私には言いようがありません。
イベントが終わってからもずっとこのやりとりが気になっていた。もっとこう、気のきいたことを言いたかった、という想いもあった。
イベントが終わったあと、参加者のひとりとこんな話もした。
私は「おわりに」でも、子どもを喪うことは、私にとって人生最悪の悲劇、と言っているけれど、それはひとそれぞれで違いますよね、とそのひとは言った。
恋人とか結婚相手を喪うほうのダメージが大きい、というひともいますよね、と。
私は同意した。
いま、思うのは、「考える」ということについて。
ジェーンがどのように立ち直ったのか、それを「考える」。考えて考えて、イメージをして、自分だったらどうするだろうと考えることで、見えてくることがある。答えが見えるのではない。自分が過去にどんなふうに、そのときどきの苦難と向かい合ってきたのか、そして今後、苦難にどのように向かい合っていくのか、考えている自分が見えるのだ。
いまの自分にとって、人生最悪の悲劇とはいったい何なんだろう。それを考えてみることで、見えてくることがある。これははっきりと見える。自分にとってたいせつなものが、くっきりと見える。
「考える」という行為を私はたいせつにしたい、と思った。
あらためて、そんなことを私に思わせたのは、あの空間の摩擦熱。あのひととき。
やはり開催してよかった。
ささやかなものではあっても、ひとつのイベントを終えた後の充足感はあって、私はそれが好き。 だからその夜、ブルーモーメント階下の「タンゴサロン ロカ」でのミロンガはまたまた格別だった。
脚が痛くなるまで踊って、せつなさと愛しさと官能と赤ワインに酔いしれた。
別の話になるけれど、イベントに、一時期は毎日のように会っていた懐かしいお友達がいらしてくれたのも嬉しかった。彼女は私と娘に贈り物を用意してくれていた。
いまは大学2年生になった娘の中学時代をよく知るひとだった。
娘の帰宅を待って一緒に開封した。私たち好みのデザインの包み紙から、箱から、もう歓声があがる。箱のラベルに、それぞれの名前があることにも感激。
こころがこもった贈り物、ってこういうのをいうのね。
置いておくだけで美しくなったような気分になれる化粧水のボトルを見ながら、いましみじみ思う。私はあまりひとに贈り物をしないけれど、あ、いばることじゃないんだけど、贈るときには、こころをこめたものを贈りたいな、って。