◎Tango ブログ「言葉美術館」

■人間の「自立」について■

2017/08/10

110422_115501大庭みな子のエッセイは、坂口安吾のに似た匂いがある。それは思想というよりは、断定的なもの言いで、あまりにも断定的だから爽快で、「逃げ」がなくて、だから好き。いま手もとにある数少ない本のなかの一冊、『続 女の男性論』を深夜に読んだ。

「自立」について述べられたところが、昨夜は胸に残った。

自立、自立、となにか自立することがとてもよいことのように言われているが、自立=経済力と考えるのは「少し短絡的すぎるのではないだろうか」、としたうえで、

私は、ほんとうは「自立」などというものは人間にとってはあり得ないのではないかと思う。

女だけでなく、男にしても。女は男を必要とするし、男も女を必要とする。その意味では、自立という言葉は無意味である」と言う。

男の人がいなかったら自分は仕事なんかしない、自分のためだけになんて働けない、男の人だって同じではないだろうか。

だからそもそも、人間は、男だけとか女だけでは自立できないのではないだろうか」。

大庭みな子は男女間の「性」を生涯、とても大切にした作家だけれど、こんなところにも彼女が大切にしているものが見える。私はつよく共鳴する。

それにしても、多くのものが軽井沢にあるので、不便がある。

服や靴よりも音楽と本が恋しい。

ピアソラの、あのときの演奏、リベルタンゴが聴きたい、茨木のり子が金子光晴について書いたあの本が読みたい。

そういう想いが突如として突き上げてくる。

こんなふうに思えるようになってきたのも、こころが少しずつ安らいできているからかもしれない。

そう思うと、明日という日に陽がさしているように感じられる。そして、そんなふうに思えることの貴重さを、かみしめる。

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