■人間の「自立」について■
2017/08/10
大庭みな子のエッセイは、坂口安吾のに似た匂いがある。それは思想というよりは、断定的なもの言いで、あまりにも断定的だから爽快で、「逃げ」がなくて、だから好き。いま手もとにある数少ない本のなかの一冊、『続 女の男性論』を深夜に読んだ。
「自立」について述べられたところが、昨夜は胸に残った。
自立、自立、となにか自立することがとてもよいことのように言われているが、自立=経済力と考えるのは「少し短絡的すぎるのではないだろうか」、としたうえで、
「私は、ほんとうは「自立」などというものは人間にとってはあり得ないのではないかと思う。
女だけでなく、男にしても。女は男を必要とするし、男も女を必要とする。その意味では、自立という言葉は無意味である」と言う。
男の人がいなかったら自分は仕事なんかしない、自分のためだけになんて働けない、男の人だって同じではないだろうか。
「だからそもそも、人間は、男だけとか女だけでは自立できないのではないだろうか」。
大庭みな子は男女間の「性」を生涯、とても大切にした作家だけれど、こんなところにも彼女が大切にしているものが見える。私はつよく共鳴する。
それにしても、多くのものが軽井沢にあるので、不便がある。
服や靴よりも音楽と本が恋しい。
ピアソラの、あのときの演奏、リベルタンゴが聴きたい、茨木のり子が金子光晴について書いたあの本が読みたい。
そういう想いが突如として突き上げてくる。
こんなふうに思えるようになってきたのも、こころが少しずつ安らいできているからかもしれない。
そう思うと、明日という日に陽がさしているように感じられる。そして、そんなふうに思えることの貴重さを、かみしめる。