◎Tango ブログ「言葉美術館」

◼️いつも現在のステップを

 

 退屈とは無縁の日々を過ごしている。悪いことではないのだけれど、退屈って、少しだけ余白にも通ずるから、そして余白がないところからは生み出せないものもあるから、今日は一日、いまとりかかっている仕事をしない日にしようと決めて、一日、といっても昨夜は朝方まで仕事をしていたからお昼に起きたのだけれど、まあ、とにかく一日を過ごしてみた。

 ところが仕事をしない、と決めると、それではこれをしよう、というのが出てきて、それが、日常の家事だったりする。家事は終わりがない。軽井沢時代、近くに住んでいた妹が私の様子を見て、いつだったか呆れたように、家事が好きなんだよね、と言ったけれど、けっして、けっして、断じて、好きではない。あんなことこんなことをしないではいられない性質、というだけだ。生まれかわったら家事とは無縁の人生を生きたいと切に願っている。

 今日一日仕事をしないでいようと決めた理由はもうひとつあって、依頼原稿の小文を朝方に編集者さんに送ったこともあった。つたないエッセイではあっても時間はかけた。ひとつのものを仕上げた達成感はあった。

 それで、今、深夜ひとりワインを飲みながら、仕事部屋のソファに座って、「時間ができたら読みたい本」の山を眺めていたのだけれど、読む気にならなくて、今回のエッセイを書くときに引用したアン・モロウ・リンドバーグの「海からの贈物」が読みたくなった。愛読書のひとつで何度も読んでいる。でもここ数年開いていなかったから、いままでとは違うところに心惹かれるかもしれない、という興味があった。

 ページを繰る。何箇所にもラインがひかれている。あまりラインがないラストの章を読み始めた。「踊り」という単語が出てきて、あれ、こんなのあったかな、と思う。

 あったんだよね、でもたぶん、人と人との関係を「踊り」にたとえていたから、以前は通り過ぎていたのだ。

 アンは言う。

 人と人との理想的な関係性は踊りと似ていて、相手に強引にしがみついたり、重く寄りかかったり、必要以上に固く手を握ったりすれば、自由がなくなり、「絶えず発展して限りなく変化していく美しさが壊されることになる」。

 美しく踊るためには、音楽と一体化すること、そして「前のステップを長引かせたり、次のステップを急いだりせずに、いつも現在のステップを踏んでいなければならない」。

 わかってはいるのに、どうして我々はこの踊りの技術を身につけることができないのか。

 どうして「前の瞬間にすがりついたり、次の瞬間を待ちきれずに手を出したり」してしまうのだろうか。

 それは「恐怖」があるからだ。

 そしてこの恐怖は、その反対である愛によってしか追い払えなくて、「心が愛で一杯になっているときには、恐怖や疑惑が入り込む余地はない」から「恐怖を感じないということが踊りの秘訣」なのだと。

 次のくだりが好き。

「ふたりの人間のどちらもが愛するあまりに、相手も自分を愛してくれているかどうか考えることを忘れ、ただ自分が愛していて、その音楽に合わせて動いていることしか念頭にないとき、ふたりははじめて同じ律動に完全に調子を合わせて踊ることができるのである。」

でもそれだけでもだめなの。

もっと大きな律動のことも意識して、その律動にも合わせないといけない、ってアンは言う。

 親密な感情と抽象との境地、個別的なものと普遍的なもの、身近なものと遠いものの間を振り子が往復する、そういうかんじ。そういうことが「ふたりの人間の関係を豊かにするのではないだろうか」と。

 そして、イエーツを引用しつつ、こんなふうに言う。

 イエーツは人生の最高の経験は「深遠なことをふたりで一緒に考えて、それから触れ合うこと」と言ったが、そのどっちもなくてはならないのである。

 

 ……ああ。私ったらどうして、こんなに胸に響く箇所にラインをひかないでいられたのだろう。

 だって、人は変化する生き物なので。

 とひとり答えながら、それにしても、と思う。

 

 その先に続く、「踊り」にたとえることを離れて、人間関係そのものについて語っているところも好き。

 人と人とのつきあい、感情、我々の「真実の生活」は断続的なものなのだとアンは言う。

「我々が誰かを愛していても、その人間を同じ具合に、いつも愛しているわけではない。そんなことはできない。それができるふりをするのは嘘である。」

 なのに人はそういうふうに愛されることを相手に要求する。恒久的な持続に執着する。

 でも、「生活でも愛情でも、その持続は成長に、また、流動性に、そしてまた、自由であることにしか求めることができない」、所有することはけっして安全を意味しないのだ。

 とにかく人間関係の本質はこれにつきる。

 過去に郷愁を覚えて振り返ってみたり、未来に恐怖を感じたり、期待をするのではなく、現在に生きること。現在の状態をそのまま受け入れること、いまここにある状態、を受け入れることなのだと。

 私がさいきん考えていることと、強く共鳴する。

 私のこのところのキーワードは「自由」と「現在」かも。

 そしてそれは踊り、私の場合はタンゴにも通ずる、と思う。

 もちろんアンのように、毅然としてはいられなくて、過去をわざわざ取り出して眺めて、めそめそしてみたり、未来に恐怖をかんじてパニックになったり、そんなのは相変わらずしょっちゅうやっているけれど、でも、「断続的」ではあるけれど、愛する人には自由を与えたいな、束縛とは無縁でいてほしいな、でも愛したいな、私の現在のすべてをぜんぶもってって、ってかんじでね、なんてことも考えてはいるのだ。

 未来への不安、恐怖はある、そこからはいまだ自由になれない。

 過去への郷愁もある。悔恨もある。そこからもいまだ自由になれない。

 だから理想的な関係性の構築、なんて私にはとても難しいことなのかもしれない。

 けれど、すこーしずつ、変わってきているような気もしている。

 とにかく現在を大切に。現在を慈しむ。現在に生きる。いまある状況を受け入れ、そこで私は何をしたいか、何をするのか、ということ。

 そういうことを観念的にではなく、なにか、すごく体感しているかんじ。 

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