■「日記」 高橋たか子■
2016/06/28
作家のノンフィクションが読みたくて、ここ数日眠る前の本は高橋たか子の「日記」。
作家高橋和己の妻としても知られている、そして私の好きな大庭みな子と親しかった作家でもある、そんな彼女の晩年の日記。
2007年に一度、2008年にも一度、このブログで書いている。
今回は「影響」と「教養」の違いについて述べているところが頭に残った。
「教養」のある人というのは、いろいろなことを「意識の表層において勉強して身につけた人」のこと。
とした上で、「影響」について続ける。
「誰かの文学とか哲学とかに影響を受けて、人が成熟する、という現象がある。
この場合はこういうことだ――自分の意識の中間層にすでに持っているものを、誰か他人の文学あるは哲学のうちの何かに触発されて、増幅される。
たびたび増幅される。
あるいは一生にわたって増幅されつづける。
つまり、自分の奥に潜勢的にある宝を他人の何かと出会うことで自分のものとしていく。」
自分の奥に潜む思想的な感覚的な「宝」が、他人の何かとても大切な「宝」と出会ったとき、その出会いが重要なものであれば、その他人の宝までもが自分のものとなる。自分のものとできる。
これは深い。
芸術のことについてはもちろん、さまざまなことについて言えることだろうと思う。
そして想いをめぐらせる。