■「神谷美恵子日記」■
2017/02/08
読むのは三度目かな。
名著『生きがいについて』も読んだけれど、いまは、作家の日記がとても読みたいシーズンだからか、こころに響いて痛いくらい
。
25歳から65歳(亡くなった年)まで書き続けた日記のなかから神谷美恵子の夫が編纂したものだから、ほんとうに、日記のほんの一部なのだろうけれど、そして、私が読めない部分にこそ、もっとも重大な言葉があるのだろうと想像しながらも、こんなにこころに響いて痛いくらいなのだから、やはりすごく共鳴するものがあるということ。
家庭をもち、二人の息子を育てながら、学問を続け、文筆への熱をうしなわずに生きたひと。
子どもが小さいときのことなど、笑ってしまうくらいに私と同じことで苦しんでいる。アナイス・ニンの日記とは別の部分で、すくわれる。
今回は自分と同年齢、45歳のときの日記から。
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お使いの途中、いちょうのまばゆいばかりの王者のごとき姿を仰いであの樹一本をゴッホの様に描き出せたら、もうそれで死んでもいいのだな、と思った。
生きているイミというのは要するに一人の人間の精神が感じとるものの中にのみあるのではないか。
ああ、私の心はこの長い年月に感じとったもので一杯で苦しいばかりだ。
それを学問と芸術の形ですっかり注ぎ出してしまうまでは、死ぬわけにも行かない。
ほんとの仕事はすべてこれからだというふるい立つ気持ちでじっとしていられない様だ。
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私はいま、ほとんど自分の言葉として神谷美恵子45歳の日記の一部をここに記している。
私のこころも、さまざまな色彩とさまざまな温度の情感でいっぱいで苦しいばかり。
これを文学というかたちですっかり注ぎだしてしまうまでは死ぬわけにも行かない。ほとんどの仕事はすべてこれからだ。
少し前のことだけれど、かなしくしずかな愛情を胸に抱いているときに買った薔薇は短い命だった。
それでも美しく咲いて数日、私をなぐさめた。
あのとき、私は、神谷美恵子のようにゴッホを思わなかったけれど(私はゴッホの花の絵ではアーモンドのが一番好き!)、
こういう美しいものを自分だけにしかできないやり方で表現することに命をかけたひとびとのことは、頭に描いた。
神谷美恵子の日記で、あの日の薔薇を思い出した。
私もあの日あのときの心情、部屋の温度と空気の粒子、そして薔薇の美しさとその意味を、自分だけにしかできないやり方で表現したい。