■「言葉の力、生きる力」 柳田邦男■
2016/06/23
この本も二度目になる。いぜんとはまったくちがったところにラインしたくなるのは、私の内面もすこしずつ豊かになっているのか、それともただ変化しているだけなのか。
40篇ほどのエッセイからなる、これ、とても好きな本。
何か所もラインしてしまった。その一部を紹介。
「人間の真の知性を育てる土壌としての<悲>の心、己の無力さに涙する情、というものを豊かに持つことが私たちの課題だという語りかけに、私も全幅の共感を覚える」
これは蓮如に傾倒した五木寛之について語ったエッセイのラスト。
「悲」とは何か。
これを語った部分が私はすごく好きだと思った。
「他人の痛みを理解できても、自分の力ではどうしてやることもできないで、ただ涙を流す。そういう感情を<悲>と言う。あるいは、がんばれと言っても効かないぎりぎりの立場の人間は、「それ」でしか救われない。「それ」を<悲>と言う」
蓮如を読んでみようかな。
やはり柳田邦男の文章が、私のこころにしっかりはいってくるのは、彼が<悲>を知っているからだと思う。
彼は25歳だった息子さんを自死というかたちで喪っている。そのことについて語った本も出している。12歳の娘がいる私にとって、それを想像するだけでパニックになるくらい絶望的なこと。経験がすべて、とは言わないけれど、
「私も25歳だった息子を喪った後、かなり長い期間、群衆や風景をモノクロの静止画面のように感じ、元気に仕事をしたり遊んだりしている人々を別世界の出来事のように感じる離人症的な感覚に陥った経験がある」
から、わかることというのもあるのだと、思う。
好んで不幸を経験する必要はない。
サガンは幸福のなかから人は学ぶのであって、不幸からではない、と言っているし、私もそう思う。
それでもサガンは近しい人の死を、望まなくても経験してきている。だからこその言葉とも言える。
うす曇りの朝。今日は暑くなるって。昨日と10度近くも違うって。これって東京と軽井沢の気温差。