ブログ「言葉美術館」

■■松田聖子という生き方■■

2016/06/23

110628_080601「先週の金曜日に、聖子ちゃんのコンサートに行ってきました」と知人に言ったら驚かれた。私も驚いてる。

でも、20年来のお友達から誘ってもらって、「元気になるよ」と言われて、「彼女と一緒に聖子ちゃんのコンサート」という状況に「エナジーあり」の予感をいだいたからそうした。

今の私は自分と同種のかおりがあるように思う中森明菜にシンパシーなのだけれど、80年代は「どっちも好き。でも聖子ちゃん派かなー」だったことを思うと、性格、好みは変わるんだなと思う。

いいえ変わったりするのとは違う。

そうではなくて、その時代時代、シーズンごとに、自分のなかにある色彩のどの部分が強烈に出るか、ということ。

それで、コンサート。とってもよかった。

3時間たっぷり、松田聖子の「あたし、歌がすきなのっ」「みんなから好き好きって目でみつめられるのたまらなくすきっ」という思いがハートマークのかたちで私に突き刺さってきて、なんだか泣けてきた。

私は、その瞬間、全力で、自分がすべきこと、したいことをしている人を、まのあたりにすると、弱い。

青い珊瑚礁とか夏の扉とか天使のウィンクとか一緒に歌っていたら終わるころに声がかれていた。

私にとっての松田聖子はある時点から消滅していたから、「いくつの夜明けを数えたら」を知らなかった。シンプルな歌詞だけど、とっても胸にささって、落涙。

♪ねえ逢いたいの そばにいたいの 寄り添い合って 生きていたいの

♪ねえここへ来て 話を聞いて あなたの胸に眠りたい

書いてみるとほんとに、なにか特別な表現があるわけじゃないのに、「ねえ逢いたいの」だけで、胸がぎゅっとなる。「ねえここへ来て」が、その瞬間もっとも切実な願いとなる。「あなたの胸に眠りたい」が人生の第一希望なのだと思う。

おそらくそういう、多くの人がその強弱、多少の差はあっても、経験していることを、シンプルな言葉で、てらうことなく発することに、ひとつの表現の鍵があるんだろうな。

そんなふうに考える、コンサートから三日経った朝。

お友達の、「聖子ちゃんはとっても丁寧に生きているよ、それがすばらしい」という言葉、ほかにもちょっと松田聖子についての話をすると、私の周囲のひとたちは「彼女はすごい」「彼女はプロフェッショナル、正真正銘のスター」と、とっても高い評価。生き方シリーズでいかが? 「松田聖子という生き方」。

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