■■軽井沢マジック■■
2016/06/21
10年前に軽井沢に移住して、急激な生活の変化のなかで、これはきっと記録しておいたほうがいいだろうな、と思って軽井沢ライフについて書いた。一年間。
それが最近、荷物の整理をしていたら出てきた。
なかに「軽井沢マジック」という言葉が何回か出てきて、あー、そうだったなー、とそのころを思い出した。
「どうして都会生活をしているときには興味のなかったことにこんなに惹かれるんだろう」
とか
「ここにいるとどうしてこのように考えてしまうのだろう」
的なことを、私は「軽井沢マジック」と名づけたのだ。
そのひとつ、もっとも大きかったことに、料理がある。
私は若いころ、男性を惹きつけるために絶対使いたくないものの一つとして料理があった。
理由は感覚的なもの。
なかでも「得意料理は牛タンのシチュウ」だったらまだしも「得意料理は肉じゃが」と言う女性が、お酒の隣の席なんかにいたら、足を踏みたくなっちゃうほどに嫌いだった。
どうして牛タンのシチュウはよくて肉じゃがはだめなのか。
繰り返すけれど、感覚的なもの、嫌いなだけ。いや、理由はあるかな。ここに詳しくは書かないけれど、それを「言える」ことがすべて。そのひとの価値観、生き方が透けて見えてしまうように、私は思いこむ。
さて。悪口を言いだすときりがないから話を戻して。
10年前の自分自身の体調の問題、仕事の問題、それから生まれたばかりの娘のことなんかを考えて軽井沢に移住した私は、とつぜんに、料理に入り込んでいった。
となりのおばさまからその日とれたという新鮮なフキなんかをどっさりいただくと、手をまっくろにして下ごしらえしてフキ料理を三種類作ったりした。
冬の終わりのころの、半日がかりの、一年分のマーマレード作りは年中行事だった。
朝おきるとホームベーカリーから焼きたてパンの香りがリビングに満ちていた。
娘は手作り以外の料理、デザートをほとんど食べたことがなかった。
ところが、娘も身体をつくるのにもっとも重要な時期を終えた、という私自身の安心感もあるかもしれないけれど、いいえ、やっぱり都会生活が「軽井沢マジック」を消滅させたとしか思えない。
今の私はまったく料理に興味がない。キッチンもちゃんとしたところに住んでいるのに、なんにもしたくない。だからたまーに、手のかかるチリコンカンとかポトフなんかを作ると娘が「わー、ひさしぶりー」と言うようになった。うれしそうなところがちょっとせつない。
料理はとってもクリエイティヴな行為だ。
私はそのエナジーを料理以外のものに向けたい。そろそろいいよね、と自分に訊ねて自分で頷いて、ときどき、ノートにそのときの心情を落書きしながら、次の作品のことを考えている。
絵はクノップフの「私は過去に涙する」