■人生の花、というにはあまりにも重い■
2016/06/21
マリリン・モンローの伝記、何度も読んだ本なのに、訳者あとがきをじっくり読んだのは二度目。
一度目はもう忘れてしまったほど前のこと。
今回驚いたことがあって、それは訳者あとがきの最後に、ある人物の生き方について、訳者の道下匡子さんが、私が敬愛する坂口安吾の言葉を引いていたことだ。
***
彼女の一生は、坂口安吾の有名な言葉、
「孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない」
を私に思い起こさせます。
***
私は、安吾は恋愛に生きた人ではないと私はとらえている。そして私にとっては「人生の花」、という形容はあまりにもかるいように、今は思う。
道下匡子さんは、ジョージア・オキーフの自伝を出版させた人物としても有名で、私はその本をもっている。すぐに読みたかったけれど、どこかの段ボールのなかだからすぐには無理なのが残念。
坂口安吾といえば、このところ、街を歩いていると、安吾がよく言う「魂の問題」という言葉が人生の中にある人はどのくらいいるのだろう、なんてことを考える。
向こうから歩いてくる携帯電話に向かって大声で何かを言っているスーツ姿の人は? 太い素足で猫背で歩いてくる女の人は? うつむきかげんでぼんやり歩いているショートカットの制服の少女は?
魂の問題、あるのだろうか、あるとしたら、どんなのか、私は知りたい。