◎ふたりの5つの分かれ路◎
2016/10/21
フランソワ・オゾン監督のはほぼ全部観ている。
シャーロット・ランプリング主演の「まぼろし」はDVD含め、3回くらい観た。「ふたりの5つの分かれ路」は2005年の夏に観たようだ。
パンフレットの発行日からわかる。
ひと組の夫婦の物語。
面白いのは、ふたりが協議離婚する場面からはじまり、結婚、出会いの場面へと時間をさかのぼってゆく、そういう描き方をしているところ。
離婚するんだ、と知るから、どうしても、いったいふたりはどこからすれ違ったのだろう、そういう興味で映画を観ることになる。
こんなに興味深いミステリーはない。
けれど、フランス映画だし、オゾンだし、映画はそれに対する答えを明確には見せてくれない。
だから観る私は、自分自身の経験と想像力を総動員して、ひと組の夫婦の愛の動きを見つめることになる。
いま、これを書いているのは、あらためてDVDを観たからではない。今回、蔵書の大整理をして、半分以上を処分したのだけれど、そのとき、映画のパンフも全部捨ててしまおうかと思って、でも、もう一回だけ目を通してから捨てよう、と持ってきて、毎朝、珈琲を飲みながら一冊ずつ目を通すのがこのところの習慣となっていて、今朝がこの映画のパンフだったから。
6年前のあの日、私はどんな想いでこの映画を観たのだろう。日比谷のシャンテで、どんな気持ちだったのかな。ぜんぜん覚えていない。
オゾン監督は言う。
「日常的なことが愛を失わせると語るのは、たやすいことのように思えます。確かに遠因ではあるのでしょうが、2人を別れさせる本当の理由は表面的なものよりもずっと深遠なものであり、そのことに注目しました」
「観客が『ああ、これが別れの原因だ』と思わないようにしたかったのです」
「もちろん2人の関係は終わりを迎えるわけですが、それを悲劇だとは思いません。重要なことはそれを経験したということです」
オゾンの、こういうところが私は好きなんだな、としみじみ。
破局の原因は、外側からのものでも、あるひとつの事件でもなく、男の、女の内面にある。
人々の内面ににうごめく感情や思想などに価値をみる、オゾンの視線に惚れなおした暑い朝。