ブログ「言葉美術館」

■■毬谷友子の「弥々」■■

2016/06/11

110813_0026018月9日、一日だけの「弥々」、昨年は異様な現象が起こってしまって、あの感覚はまだ生々しいから、この日は、すこし冷静に舞台を観たいと思っていた。

そして、最初から昨年のようにはならなかったから、安堵しつつ観賞。

けれど後半~ラストで、やっぱりだめだった。

ストーリーも熟知している。

次にくるセリフだってなんとなくわかる。

それなのに、最後であんなに揺さぶられるのは、やっぱりこれは毬谷友子の表現力なんだろうな、と思う。

じーん、と涙が出てくるのではない。

嗚咽にちかい感じで出てくる。

そして、止まらなくなる。

そのまま幕が閉じる。

弥々、良寛の初恋の人。

そのひとの一生。ひとりの女の一生。

脚本を書いたのは毬谷友子の父である矢代静一。

この作家は「僕のマグダラのマリア」を書きたかったと言う。

魔性と聖性をあわせもつ女性をえがきたかったのだと。

今年は矢代静一の13回忌、東日本大地震への義援金活動を熱心に行っている毬谷友子、さまざまな想いをからだに充満させての舞台だったのだろうと想像する。

初演は1992年。もしこの初演が紀伊国屋ホールであったなら、私はこれを観ている。毬谷友子という人を知らないまま、なにか感じるところがあって、チケットを購入し、ひとりで出かけた。そして彼女の「一人芝居」に圧倒されたのだ。

あれから19年。

今年は嬉しいプレゼントがあった。

矢代静一と毬谷友子の弥々についての対談のテキスト! 1996年のときのもの。そのなかで矢代静一は言っている。

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日本語の「ちせい」には三つある。インテリジェンスの知、白痴の痴、幼稚園の稚と。僕は芸術家にとって、一番大事なのは「稚」だと思うけど、それをこの子は持っている

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13年前、矢代静一が他界したときの、彼女の喪失感に想いを馳せる暑い土曜日。

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