■「親鸞 いまを生きる」 姜尚中 田口ランディ 本多弘之■
2016/06/11
先日書いた、書店で購入した3冊中の1冊。
親鸞の思想をめぐって三者がそれぞれのお話をする、という読みやすくて興味深い本だった。
論語の「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があったから、わあ、と懐かしい想いにとらわれた。
高校、大学受験のときに、これを気に入って机の前に貼って勉強していたのを思い出したからだ。
けれど、この本で、もっと気に入る言葉を知った。
清沢満之(きよざわまんし)が「人事を・・・」を言い換えた言葉。
「天命に安んじて人事を尽くす」
これ、「いま、ある」という事実は必然で、どうしようもないもので、あらゆる事実は自分の意志だけによって「いま、ある」のではない。
たとえば自分のいのちだって、因縁のなかで両親の生命のいとなみのなかで、たまたま与えられたもの。
この世にはだれひとりとして、自由に自分の意志で生まれたひとはいない。
そんなふうに考えて、そのうえで、それをひきうけて、
自分が与えられたいのち、与えられた条件、環境のもとで全力をつくしましょう。
ってことのように、私は受け取った。
今の私にとっては「人事を尽くして天命を待つ」はちょっとキツく厳しいかんじだから、やわらかーな包容力に似たかんじがする「天命に安んじて人事を尽くす」に乗り換えることにした。
流れに身をゆだねる感覚をもちつつも、守るべきところはなんとしても守る。
自分がすべきことの核だけは失わないで生きてゆく。
そんなふうな人生の過ごし方。