■■ルドンの花がたたえている力■■
2016/06/11
ルドンの花が観たくて、三菱一号館美術館に初めて行った。
美術館のたたずまいの美しさに心が深く満たされた。
メインの作品である「グラン・ブーケ」の美しさに心が深く満たされた。
こういう感覚は久しぶりだった。
娘と行ったのだけれど、興味なさそうにぷらぷら歩いていればほっとくし、絵に近づいてじっくり観ていれば、チラっとチェックして、それがどんな絵かに興味を抱く。
ただひとつだけ、伝えたくなって言った。
私が文章を書いた初めての雑誌、フラウでの連載の第一回目……、それがルドンだった、と。もう17年も前のことだけどねえ、と。
1995年の2月号。ルドンのミューズ、妻のカミーユ・ファルトのことについて書いた。(「美神(ミューズ)の恋」新人物文庫に収録されています)
そこで、私はルドンの花について「妖艶な女そのもののよう」とか「むせるようなエロティシズムの芳香」といった言葉を使ってその魅力を表現した。
けれどいまは、妖艶とかエロティシズムというよりも、もっと直情的に、つよく、生命力を、ルドンの花から感じる。
三菱一号館美術館の「グラン・ブーケ」を前につよくつよく感じたのは、命、命あるものが生きようとする力であって、それがまさに美そのものだった。
この美術展の名称は「ルドンとその周辺ー夢見る世紀末」
モローの絵もあった。
パリの、あのモロー美術館を思い出した。なつかしい香りに満ちていた。
けれど、木の床をならして歩きながら思ったことは、なつかしいという感情は、もどりたいという感情とは相反するものではないか。そんなことだった。