■■塩野七生に背筋が伸びる■■
2016/06/11
「自分で自分を守ろうとしない者を誰が助ける気になるか」(ニコロ・マキアヴェッリ)
なんだか久しぶりに、あのひとの本が読みたくなって買った本、『日本人へ 国家と歴史篇』。
あのひととは、塩野七生。
私とは真逆のイメージのひとだけど、そして熱狂的に好き好きー、というのではないけれど、こういうひとが同じ地球上に生きていて、創作活動を続けているというだけですくわれる、と思える作家のひとり。
ほかには五木寛之、中田耕治、曽野綾子がいるかな。
塩野七生が15年かけて完成させた「ローマ人の物語」は手を出していないけれど、そのほかの著作ならおそらく8割はもっている。
そ
れで、今回の本、いきなりマキアヴェッリの言葉が飛び込んできて、もうそれだけで買ってよかった、と思えた。
そうだよね、自分で自分を守らないといけない。
それからはじめて「誰か」の存在を意識すべきだ。
このことを確認できたことだけで、本の価値はあった。
けれど、ほかにも、胸に響くのがいっぱい。
昨夜は次の日のことを考えずに一冊読んでしまって今朝は寝不足だけど、やけに明晰なかんじ。
一冊の本でこんなになれるなんて、やっぱり私は本の可能性を信じたい。どんなに出版業界不況と周囲に言われても、信じたい。
「読者に助けられて」という項目は、とくに胸に響いた。
「ローマ人の物語」を書きあげた塩野七生が人生最初で最後の読者との集いなるものをした、ことが書かれている。
「15年にわたってローマの歴史を年に一巻ずつ出版できたのも、それを買いつづけてくれたあなた方がいたからです、と言いたかったのである」
図書館で借りて読むことに異を唱えているのではない、図書館は便利だろうし、書く側にとっても読まれることは嬉しいというのは言うまでもない。
「しかし、読まれさえすればそれを書いた著者は満足する、というものでもない。恒産なければ恒心なし、と言うではないか。
売文業にとっての恒産は贅沢をするために必要なのではなく、きちんとした作品を書くには不可欠な、考える時間を充分に持つために必要なのである」
「集まってくれた読者たちに伝えたかったのは、私の作品を買いつづけてくれたことにお礼を言うことだけではなかった。
本を買うことによってあなた方は、その本の著者の仕事を助成していることにもなるのです、ということも伝えたかったのである」
「書物から知識を得たり感動したりするのはすばらしいことではある。
だがそれだけならば受身的であって、書物を買って読むという行為には、もっと積極的な意味もあることもわかってもらいたかったのだ」
読んでいて泣きたくなってきたよ。
ほんとうにそうなのです、という想いがあふれちゃって、それからもっともっと書きたい、と思えた。
そのへんにある、内容のない本とは違う、きちんとした本を、小手先ではなく、全身で書きたいと思った。
先日優しい殿方が「品川駅構内の本屋さん」でみかけた画像を送ってくださった。嬉しい。
一冊の本にはいろんな方が関わっておいでです。営業さんの力も大きいです。感謝します。