ブログ「言葉美術館」

■バンコク(のホテル)滞在記*6■

2019/06/20

■いいですねー、そのノリ!

 

★28日(火)7日目

 1日ホテルから出なかった。

 ハーパーズバザーの編集者さんから原稿依頼。難易度高いテーマなので、相談を受けたとき迷っていたけれど、正式な依頼があり、挑戦することにする。

ーー冗談みたいなんですけど、「逃避の名言集」のゲラチェックしてたら逃避したくなり、意味不明にバンコクにいます。

 そんなことをメールの最後に付け加える。

 それに対して彼女から、

ーーいいですねー、そのノリ!

 と返ってきて、そうか、ノリがいい、そんなふうな見方もあるのかと、しみじみ考える。

 そして、今日は「逃避の名言集」、「文庫版のためのあとがき」を書こうと、朝食後MacBookに向かう。すらすらと言葉が出てくる。

 たぶん「熱帯感傷旅行」のおかげ。

 こんなふうに、そのままのことを書けばいい、って思えたという意味で。

 

 大好きな作家、中山可穂、若き日の、そしていまのところ唯一の旅行記。

 失恋の痛手をかかえてタイ、マレーシア、インドネシア、シンガポールなどを旅したことが記されている。

 あとがきには次のようにある。

 これは「三十を過ぎた女の、いじましい貧乏旅行記である。ただ貧乏なだけではない。小説家でありながらスランプで、恋愛体質でありながら失恋直後であるという、三重苦を背負っての一人旅である」と。

 解説は書評家の吉田伸子氏、自らのひとり旅体験と、この旅行記を重ねて次のように書く。

***

 本書を読んで、私が真っ先に感じたことは、あぁ、ここにも「淋しくなるために」旅に出た人がいる、という、そのことだった。

***

 この箇所をバンコクのホテルの部屋で読んだとき、17年前のこのひとたちに「はーい、私もそうでーす。まぜてー」と言いたかった。

 

■なぜ、ひとりっきりでこんなにも美しいものを見なければならないのか

 

 この本は、ずっと前に読んだきりで、でも、「逃避の名言集」でも、この本のなかから引用していて、ゲラのチェックのときにそれを思い出し、たしかバンコクも訪れていたはず、と家を出る直前にバッグにほおりこんだ一冊だった。

 あらためて読んで、私が以前に胸うたれた箇所がいまもまだ新鮮なことに少し驚いた。

 マレーシア、ペナン・ヒルの美しい夜景を目にしたときの記述。

***

 せつなくてせつなくて、胸がちぎれてしまいそうだった。

 なぜわたしはこんなところで、ひとりっきりで、こんなにも美しいものを見なければならないのか? 人と人はこんなにも簡単に別れられるものなのか? この体に刻み込まれた快楽の刻印と、まぎれもない幸福の記憶を、どこでどうやって消したらいいのか?

 愛している。まだ愛している。愛している。未練がとまらない。

 もう愛していない。愛せない。憎しみだけが募っていく。

 わたしのたったひとつの望みは、記憶喪失になることだった。あのひとにつながるすべての記憶を忘れたい。忘れなければ生きていけない。

***

 機内で、寒さにふるえながらも私は、この箇所を何度も読んで、胸がしぼりあげられるようだった。自分が書いているかのような錯覚に陥るほどに共鳴して。

 美しいもの、感動的な体験、そういうことにふれたとき、私も強く感じる。なぜ、「あなた」はここにいないの? と。

 そのとき浮かべた「あなた」が誰なのかで私は、自分がそのときもっとも愛しているひとを知る。

 ずっと、そうだった。

 そして、それは「ひとりっきり」のときだけに訪れる現象ではないということが、せつなく、苦しい。

 ほかのひとといて、誰か別のひとを欲望するという、「なぜあなたはここにいないの?」と思ってしまうという。……いくつかの場面を思い出しただけで胸がきりきりと痛む。

 でもこの旅行では、そういう角度からのはなさそう。「こんなに美しいもの」にふれることはなさそうだから。

 いいんだか悪いんだか。

 ただひたすらにさびしい。ただひたすらに孤独。「ひとりっきり」の心細さを、嫌というほど満喫(あえてこう言うよ)している。

 そんな状態だったから、「逃避の名言集」「文庫版のためのあとがき」はすらすらと書けたのかもしれない。

 

■無防備すぎる姿でのトリートメント

 

 夕刻になり、今日こそは、アロマオイルのボディトリートメントを受けようと部屋を出る。いつも予約なしでオッケーだったから、「room clean」のボタンを押して。

 ところが3階のサロンに行ったら、あと40分後に来て欲しいって。あわててお部屋に戻ろうとしたけれど、すでにドアが開いてるのが見えたので、引き返す。

 どうしよう。2階のレストラン前のソファにぼんやり腰をおろす。アイフォンもノートも何もないままで30分。

 視線の隅に、顔見知りになっていたレストランのスタッフの男性がうつる。彼は私のほうを見ないで、ただ、外を眺めている模様。ここで話しかければ、30分くらいあっという間なんだろうけど、誰とも話したくなかった。

 彼はしばらくそこにいたけれど、私は顔をあげなかった。彼は静かに立ち去った。

 翌日彼に会ったとき、「あのとき、なにかあったのかと心配になって、そばにいたのですけど」と言っていた。

 じーん。

 

 時間になったので、3階のサロンに。

 私、アロマオイルのボディトリートメントは何度も経験があるけれど、ボディスクラブははじめて。

 びっくり体験だった。

 紙のような布のような、とにかくうすーいショーツだけでベッドに横になる。これは東京でも経験済み。

 まずは背面からスクラブ開始。ショーツ、はいているけど、もはやはいていないも同然。お相撲さんみたいにされている。

 それで、「はい、上向きになってください」のあとはもっとすごい。胸のところ隠してくれたりしないわけ? ね。

 ぶるんぶるん、スクラブをしてゆく。すごいテクニックだと感心してしまったのは、すばやく手を動かしながら、バストトップだけは1ミリもふれないこと。ちょっと手が滑ればそうなっちゃうだろうに。あれはすごいなあ。

 でも、もう、自分が露わすぎて、笑っちゃう。魚とかになったみたい。恥じらいなんてもっちゃいけないの。お魚さんは。

 そして、いったん、シャワーをあびて、次はオイルトリートメント。これも同じく。お魚にオイルが塗られているかんじね。

 これ、男性も受けられる施術なんだけど、みんなどうしているんだろう。無反応ではいられないと思うのだけど。取材したくなったけど、やめた。だって、気持ちいいんだもん。至福のときに集中する。

 いつものようにレモングラス入りのハーブティーをいただいて、とろんとろん状態でお部屋に戻る。

 前日買ってきたビールがあったから、夕食はルームサービスをとることに。

 チキンと野菜の串刺しみたいなのとポテトフライ。

 電話に出たレストランのスタッフのひとは、「あなたを覚えていますよ、今週もタンゴに行きますか?」って。

 彼だった。

 ひとなつっこいのよね、とっても。鬱陶しくない絶妙の距離感。

 

■なぜ、このようなモノが露店に?

★29日(水)8日目

 前日はこもりきりだったから、今日は少しお出かけをしようと思って、朝食の時ガイドブックを持ってゆき、調べる。

 少し遠くに、賑やかなところがあるみたい。でも歩いて40分くらいはかかる。却下。もうちょっと近いところに、露店がたくさんのところがあるみたい。そこなら20分くらいだから、今日はそこに行こう。マッサージはなしで原稿に集中するぞ。しなくちゃだめよ私。

 昨日、一度も物語を書かなかっただけで、新鮮。

 やっぱりときどき、距離をおかないと新鮮さは維持されないのね、と自分に言い聞かせて、物語世界へ。

 ヒロインがブエノスアイレスで、なにかしようとしているのだけど、なかなか動かない。

 うーん。うーん。お部屋をうろうろ。うーん。うーん。

 ブログの「私のブエノスアイレス」をざっと読み返す。ぜんぜん、別物だわね。参考にならないくらいに。

 

 夕刻、20分ほどの、ちょっと面白そう、って思ったとこまで行ったけど、ぜんぜん面白くなく、外は暑く蒸していて空気が汚れていて、マスクをしてくればよかった、と後悔。

 結局、戻って、いつものターミナル21に。

 以前から不思議な光景だな、と思っていたのだけど、露店に、いわゆる大人の玩具が、どうどうと、売られているのはなぜ?

 写真を撮りたかったけど、撮ったら買わなくちゃいけないみたいで怖くて撮れなかった。

 でも不思議だった。裏通りなんかじゃない、表通り、人通りがたくさんあるところに、あのような、そのものっ、みたいなのがあるって。「軽井沢夫人」の著者としては、見過ごしてはいけないような気もしたけれど、でも、私はその類いのものには興味がないので、「なぜ? なぜ?」だけで、結局終わった。

 

■タイシルクのショールとタイビール

 ターミナル21をウォーキングしたのち、お腹が空いたので、レストランフロアで散々迷った挙句入った店のパッタイはそんなに美味しくなくて、スイートティーはスイートすぎて、残念無念。

 あまりにも手持ち無沙汰で、日本ではけっしてやらないこと、自分が食べようとしているモノの写真を撮ったりする。

 

 そうとうだわ、私。

 

 ああ。そろそろ、ちょっとだけ両替したタイバーツを消化しなければ。ホテルは全部、ルームチャージにしているから、ほとんどキャッシュを使う機会がない。

 そうだわ。タイといえば、タイシルク。シルクのショールのお店へ。ここではじめて買い物らしい買い物をした。

 シルクとカシミアのショール。ひとつは黒の無地。もうひとつは黒地に赤い薔薇の。2枚で1400バーツ(4900円くらい)。

 

 

 

 

■飽きた。何に?

 

 いつもより少しだけ長く外出しただけでぐったり。

 お部屋に戻って、ビールをぐびぐび飲んだら、もうやる気ゼロ。

 日本からもってきた2冊のうちの1冊「殺戮のタンゴ」を斜め読みして、ベッドに本を放り出して、彼にライン。

ーー飽きた。

 日本はこちらより2時間進んでいる。もう1時をまわっているから眠っているかもしれないと思いつつ。でもすぐに既読がつく。

ーーバンコクに?

ーーうん、たぶん。

 送りながら、自分に問う。……そうなのかな、たぶん、って何なのよ。

 マッサージにもホテル暮らしにも飽きたよ、がほんと? ひとりきりに飽きたよ、がほんと? 日本のいまの暮らしにも飽きたよ、がほんと?

 と自問する。3番目だったら深刻、考えたくない。

ーータンゴは?

と言う質問に率直に答えられなかった。

ーー誰と踊るか、につきる。いまはそこにいる。

 送りながら、だったら、物語のヒロインもそれでいいんじゃない? とひらめく。

 おやすみ、を送って原稿を少し進める。

 

 眠る前に、少し迷っていた仕事のメールの返事を送る。

 テレビ出演の依頼に対する承諾のメール。

 送りながら、思い出したのは、

「どうしてもそれをしなければならないの?」

 オードリー・ヘップバーンの言葉。

(7につづく)

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